保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

出入国管理法改正案廃案について(2) ~多文化共生という妄想~

《退去処分を拒む人びとの多くは帰国すると身に危険が及ぶ恐れがあったり、日本に家族がいる人びとだ。だが、改正案はこうした事情に配慮せず、難民認定申請を送還を免れる手段と決めつけ、三回目以降の申請は強制退去の対象にすると規定した。「難民鎖国」と評される日本の認定率の低さについては一顧だにされなかった》(5月19日付東京新聞社説)

 <不法滞在者>は本国に送り返す、これが基本である。帰国後の問題は(厳しいようだが)日本が関知する問題ではない。一不法滞在者の人権だけを特別に贔屓(ひいき)することの方がむしろ問題なのではないか。

 また、<難民>について言えば、日本は歴史的にも、政治的にも、<難民>発生に直接関わっていないということがある。例えば、紛争の火種を蒔き、武器を売り付けて商売するような悪行に日本は身を染めてはいない。逆に、「死の商人」として金儲けに勤しんでいる国は<難民>を受け入れる義務がある。

《多文化共生時代にふさわしい入管行政はどうあるべきか―。この議論からやり直さねばならない。その上で、国際的な人権水準にかなう立法を目指すべきだ》(5月20日付北海道新聞社説)

 <多文化共生時代>は、方向性としてなら分からなくはないけれども、現実はそんな麗しい話ではない。<多文化共生>という「幻想」を基にして入管行政を考えれば、法を犯す外国人がただ増えるだけである。

《現状では収容するかどうかの判断は入管当局の裁量に任せられており、収容期限の上限もない。当局の権限が必要以上に大きいことが、不透明な収容実態につながってきたとも言えよう。

 政府はこうした課題の見直しには手を付けず、送還徹底を図ることで収容の長期化を解消しようとしている。しかし、それは外国人との共生が求められる時代に逆行する、排除の論理ではないか。

 大切なのは難民認定を求める外国人の人権を重視し、支援する姿勢だろう。日本の入管行政を抜本的に見直す時である》(5月18日付高知新聞社説)

 シナや北朝鮮のように自国民の人権すら蹂躙して恥じない国が世界には少なくない。そんな中で<難民認定を求める外国人の人権を重視し、支援する>などというのは、余りにもお人好しに過ぎる。

 否、香港、新疆ウイグルチベットといったシナの人権蹂躙には声を挙げず<外国人の人権>もないものだ。共通しているのは、シナに対する「忖度」(そんたく)ではないか。

 外国人の入国を制限し、コロナウイルスの侵入を防ごうとする「水際対策」すらとれない日本が、難民受け入れを緩和すればどうなるか。朝鮮有事にでもなれば、とんでもないことにもなりかねない。【続】