保守論客の独り言

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2021年度中学教科書検定を巡って(4) ~龍馬のいない歴史~

《近年の英語の大学入試改革をめぐる論議では、専門家から「話せるようになるためにも文法の土台が大切」との指摘が相次いだ。一方に偏らない教え方の工夫が求められる。

「技術・家庭」の技術分野も変容が著しい。全教科の中で最もページ数が増えたが、それはプログラミングの記述が拡充されたためだ。内容も歯応えのあるものになっている。

 英語と技術の充実は、国際競争と情報通信技術を重視する国の政策のあらわれだ》(3月27日付朝日新聞社説)

 英語について、<文法の土台が大切>はその通りであるが、さらに言えば、「話し聞くための文法」と「読み書くための文法」は違う。言い換えれば、「漢文訳読法」と「直読直解法」の違いである。英語と日本を対比させながら学ぶのが前者であり、日本語を介在させずに英語を学ぶのが後者である。

 大半の日本人に必要なのは「教養英語」であろうはずなのに、日常的に英語で会話をする必要のない日本人に多大な時間と労力を掛けて「実用英語」を身に付けさせようとしているのは摩訶不思議でしかない。

 技術家庭の<プログラミング>の必要にも疑問符が付くが今は措く。

 さて、朝日社説子は、<英語…の充実は、国際競争…を重視する国の政策のあらわれだ>と言う。日本人が国際競争に打ち勝つために必要なのは英会話力ではなく日本語での思考力、想像力、発想力の方であろう。必要のない英会話に勤(いそ)しむのは、英語圏の配下に入ろうとしているようにしか思えず、一種の「奴隷根性」の表れである。

《社会科では、戦国時代から江戸時代にかけて武家政権が安定度を増していった背景をグループで討議させ、最終的に「この時代の特色」を自分の言葉で説明するよう求めている。

 暗記偏重といわれた歴史の授業で、思考力を伸ばそうという方向性は理解できる》(3月30日付毎日新聞社説)

 歴史好きの人なら分かるであろう。歴史は暗記ではない。例えば好きな戦国武将について語り合うなどということの楽しさはこの上ない。

 が、学校の授業の時間は限られ、覚えないといけない知識は山とある。授業が知識を扱うのに留まらざるを得ないのは致し方のないことである。

 にもかかわらず、討論に時間を割くということは、扱うべき知識量を削らなければならなくなる。だから、坂本龍馬は削っていいのではないかなどという話が出てくるのである。

 龍馬の知名度を上げたのには司馬遼太郎氏の功績大と思われるけれども、気を付けなければならないのは、司馬作品の龍馬には「創作」の部分があるということである。

 が、だからと言って、歴史の教科書から龍馬を消してよいわけではない。討論するにも、龍馬がいるかいないかでは大違いである。【続】