保守論客の独り言

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2021年度中学教科書検定を巡って(3) ~<アクティブ・ラーニング>が邪魔~

《深い学びをめざす方向性に異論はない。ただ、子どもにじっくり考えさせるには、一つひとつのテーマに相応の時間をかけなくてはならない。授業の枠内でこなし切れるか、消化不良を起こさないか、心配になる》(3月27日付朝日新聞社説)

 はっきり言って、学校の授業内で、能力が一様ではない子供たちに「深く学ばせる」ことが出来るとはとても思えない。一般に学校の授業は「おちこぼれ」を出さないように配慮する。能力の高い生徒ならいざ知らず、従来の授業であっぷあっぷの生徒を「深く学ばせる」などという話には決してならないだろう。

 「考える」などという高度な話以前に、基礎力の充実が先である。義務教育では、基礎力を身に付けられれば万万歳である。基礎力を身に付けさせるのに<アクティブ・ラーニング>が邪魔をしないか、そのことが気懸かりである。

《準備の時間を含めて教員の負担も増す。文科省は「メリハリをつけた教え方を工夫してほしい」と言うが、授業と関係のない校務を削ったり、教師を支える人手を増やしたりして、現場が余裕をもてる環境をつくり出さなければならない》(同)

 これは現場を知らぬ者の科白(せりふ)である。<授業と関係のない校務>を削れるなら苦労はない。授業研究や自身の技能向上に時間が取れず、日々「雑務」に追われているのが現状である。

 業務に余裕が出来たからというのならいざ知らず、余裕がないのに授業を変えさせるのは無謀(むぼう)としか言い様がない。授業を変えるためには下準備もいるし、研究もいる。結果に対しての反省もいる。が、そんな時間は教師にはない。

 今行われているのは、ICT(情報通信技術)を使った授業である。ICT機器を利用することで、板書できない映像が使えるし、板書の時間を省いて生徒に考えさせる時間をとることも可能である。

 勿論、正の部分もあれば負の部分もあるから喜んでばかりはいられないのだけれども、ICTを活用することによって授業がこれまでとは様変わりするであろうことは間違いのないことだと思われる。

《中身が高度になった教科の筆頭は英語だ。小学校から英語の授業が始まるため、中学卒業までに扱う単語数は今の倍ほどになる。教える順序も、文法の説明は後回しにして「聞く」から入る設計になっている。実用重視の考えはここでも鮮明だ》(同)

 <文法の説明は後回しにして「聞く」から入る>とはoral introduction(口頭導入)のことを意味しているのであろうか。科目名も前からCommunication Englishであり、随分前から推奨されてきている導入法であって目新しいものではないし、効果が高いわけでもない。

 <実用重視>も、日常的に英語を用いることのないほとんどの日本人にとって迷惑以外の何物でもないだろう。【続】