保守論客の独り言

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英語民間試験導入延期について(5) ~入試を変えて英語教育を変えようとするのは横暴だ~

萩生田光一文部科学相は言う。

「子どもたちに英語4技能を身につけさせることは、これからのグローバル社会に必ず必要で、入試でどのように評価していくのか、できるだけ公平でアクセスしやすい仕組みはどのようなものなのか新しい学習指導要領で初めて実施する令和6年度の大学入試に向けて、私のもとに検討会議をつくって、今後1年を目途に検討し、結論を出したい」(NHK NEWS WEB 2019111 1049分)

 <必ず必要>は重言であろうが、私は<子どもたちに英語4技能を身につけさせることは、これからのグローバル社会に必ず必要>だとは思わない。何かを得ようとすれば何かを捨てなければならない。日常的に必要とはされない英会話力よりも、生きていくのに不可欠な国語力の方が余程重要である。「大局観」がないから、このような「木を見て森を見ない」発言になってしまうのである。

「全体的に不備があることは認めざるをえない。延期して課題を検証し、どういった点を改善すれば、皆さんが限りなく平等に試験を受けられる環境を作れるかに注力したい。きょうまで取り組んでいただいた民間の試験団体とは引き続き信頼関係をもって前に進めていきたいが、仕組みを含めて抜本的に見直しを図りたい」(同)

 スピーキングテストを実施せんがために民間試験を活用するということになったのであるが、そもそも主観的評価を免れないスピーキングテスト自体を全国一律で実施することが不可能なのであるから、公平性云々を言うのなら、スピーキングテストの実施は諦めるしかない。つまり、これまで通りセンター試験を実施すべきだということである。

文科省の本来のねらいは、小中高の英語教育を実践的なものに変えることだったはずだ。だが読解中心の授業からなかなか脱却できないとみて、入試をテコにしようとした》(112日付朝日新聞社説)

 これは現場を知らぬ誤解である。教科書はコミュニケーション英語となり、アクティブラーニングということもあって、文法訳読方式の講義型の授業などとうの昔に終わっている。指導方法が変わってもいまだに話す力が付いていないというのが実態である。否、文法力がなくなってしまったのは言うまでもなく、読解力や筆記力も落ちているのは間違いない。

 文法は、英語を外国語として学ぶ日本人にとって必須である。文法的知識が共有されていればこそ、教える側も教えることができ、学ぶ側も学ぶことができる。文法を蔑(ないがし)ろにすれば効果的な英語学習は成り立たない。

《やはり順番が逆だ。

 まず話す力を含む総合力が学校で身につくよう、授業改革を徹底する。そのうえで入試を見直す。正攻法を貫くことが、格差助長などの弊害を生まず、結局は目的達成の近道になる》(同)

 授業現場を無視して入試だけ変えてもうまくいくはずがない。授業現場の混乱も顧みず、入試を変えて英語教育を変えようとするのは横暴である。【了】