保守論客の独り言

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大学入試改革断念について(1) ~改革の発端がいい加減~

《大学入試のあり方について議論してきた文部科学省有識者会議が提言をまとめた。

 会議は、共通テストで記述式問題や英語の民間試験を活用する構想が頓挫したのを受けて、19年末に設けられた。新学習指導要領で学ぶ最初の学年が受験する25年1月の入試をどうするかが大きな論点だったが、提言は、民間試験、記述式いずれについても「実現は困難であると言わざるを得ない」とした》(7月1日付朝日新聞社説)

 当然と言えば当然なのであるが、何が失敗の原因だったのかについては、有識者会議も各紙社説もあまり興味がないようだ。だから、

有識者会議は、英語民間検定が測る「読む・聞く・書く・話す」の4技能や、記述式で問われる論理的思考力について、受験生に必要な学力であることは認めている。各大学は個別入試での審査や入学後の教育による育成の検討を進めてほしい》(6月26日付京都新聞社説)

などという話になってしまうのである。

 <受験生に必要な学力>とは何か。基本は、大学での勉強に必要な学力ということになるはずである。が、どうして大学の勉強に英語を話す力が必要なのか。従来通り英文法をしっかり身に付けて、論理的に英語が読み書きできるようになることの方がはるかに大事ではないか。英語が公用語でない日本において、英会話力を高めようとすることの意味が分からない。

 記述式の問題は、これまでも国公立大学の2次試験に出題されてきたのであり、いまさら必要と言う必要がどうしてあるのかさっぱり分からない。検討されるべきは、センター試験に代わる共通テストに記述式問題を出題することが妥当かどうか、そして可能かどうかということだったはずである。

《安倍前首相肝いりの教育再生実行会議が「1点刻みの合否判定を助長している」などと当時の大学入試センター試験を批判し、新たなテスト方式への切り替えや外部検定試験の利用を唱えたのが、一連の「改革」のきっかけだった。中央教育審議会などがこれを引き継ぎ、今年1月の入試をめざして文科省が案を固めていった。

 ところが内容が明らかになるにつれ、高校や大学から、地域や家庭環境による受験機会の格差が広がる、公正な採点が期待できないといった疑問の声が次々とあがった。それらを解消できないまま、萩生田光一文科相の「身の丈」発言が飛び出し、断念に追いこまれた》(同、朝日社説)

 「1点刻みの合否判定を助長している」などというのは難癖に過ぎない。つまり、今回の入試改革の発端は相当いい加減なものだったということである。【続】