保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

どうしてセンター試験をやめるのか?(1) ~文科省は「教育破壊省」~

大学入試センター試験は今回が最後となり、共通一次試験の後継として1990年から続いた30年の歴史に幕を下ろした。来年度の受験生からは「大学入学共通テスト」を受けることになる。

 なぜ、センター試験では駄目なのか。変更に至った明確な根拠は、今も国民に示されていない》(1月21日付徳島新聞社説)

 英語民間テスト導入、数学・国語の記述式問題、の経緯を見れば明らかなように、まったくおかしな大学入試変革が進行してきたのであるが、その大取(おおとり)が「センター試験廃止」である。

《現在の混迷に至る入試改革は、官邸主導で始まった。政権に復帰した安倍晋三首相は2013年、「教育再生実行会議」を発足させ、教育改革の司令塔と位置付けた。

 実行会議は「一発勝負で1点刻み」の選抜方法を見直し、センター試験に替わる「達成度テスト」を提言した。年に複数回実施するとともに、細かな点数差にこだわらず、得点を大まかにグループ分けして大学側に提示する仕組みだ。

 理想としたのは、年間7回の受験機会があり、全米や世界から多様な人材を集める米国の共通試験。グローバル社会で通用する人材を求める産業界の後押しがあった。

 知識偏重から「課題を解決する力」を評価する試験へ。総論は立派だが、多様で潜在力ある人材を選べない原因を安易にセンター試験と結び付けたことが、その後の迷走につながった。大改革には、裏付けとなるデータや分析が必須である》(同)

 一体センター試験にどのような問題があったというのか。総括もなくただ米国の後追いをするというのは愚の骨頂である。

 1980年代「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた頃、米国の教育荒廃はひどく、日本の教育を見習えと米国は日本に範を求めて教育改革を進めた。一方、日本はどういうわけか荒廃した米国の教育を後追し始めることになる。

 今の教育改革の悪い所は、大学入試を教育の最終目標と考え、大学入試を変更することで、教育全体を変革できると考える驕(おご)りにある。

 問題は2つある。1つは、米国の後追いをする教育改革が果たして日本の教育に適合しているのかということ。もう1つは、このような形で強引に変革を迫れば、教育現場は混乱するということである。

《「入試改革ありき」で突き進んだ結果、共通テスト最大の目玉だった英語の民間検定活用、数学と国語の記述式導入は、土壇場で延期に追い込まれた。受験生や保護者、教師は振り回されるばかりだ》(同)

 「ゆとり教育」の時もそうだった。考え方は悪くなかった、悪いのは対応できなかった現場である、などと考えてはいないか。でなければ、反省もなく教育改革、否、改悪を推し進めるわけがない。

 教育を玩具(おもちゃ)にするな、と私は言いたい。