保守論客の独り言

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大学入試改革断念について(2) ~改革は企業の都合~

《産業界が教育行政に求めたのはグローバル人材の養成と、思考力・判断力を育むことだった。文科省は、英語の「話す」能力などを共通テストに組み込まなければ学校現場は本気で指導の充実に取り組まないとして、民間試験の導入を決めた。多くの受験生が志願する共通テストを変えることで教育を改善させるという手段を選択し、私立大にも利用を促した》(6月29日付日本経済新聞社説)

 産業界の介入こそが教育を歪めてしまった元凶である。グローバル企業が欲しい人材を育成するために教育内容を変えようとしたのが今回の入試改革騒動であった。要は、楽天ユニクロといった企業が、英語が話せる人材を欲しがったということに過ぎない。

 が、英語が話せることなどグローバルビジネスの表層に過ぎず、本当に必要な「教養」を疎かにしてしまった付けはいずれ近いうちに払わされることになるだろう。英語は話せても中身がない、そういう人材が実利重視の教育改革によって増えてしまったのではないか心配である。

 思考力・判断力についても少なからず誤解がある。思考力・判断力には画一的解答はない。だから思考力・判断力は受験生を選別する試験で問うのは難しい。もし思考力・判断力と言うのであれば、合格者を欧米のように広くとり、大学内で篩(ふるい)にかける形に変える必要がある。日本の大学のように大学入試に通りさえすれば、勉強せずとも心太(ところてん)式に大学を卒業できる形のままでは、思考力・判断力を育む教育など不可能である。

《提言で注目すべきは、今後の入試改革に関する議論の進め方を示したことだ。

 政治家が主導して理念先行でひた走り、現場からの数々の疑問を無視して事態を深刻化させた経緯を踏まえ、「実務的な実現可能性を常に確認し、課題の解消が難しい場合は、工程の見直し、他の方策の検討、理念までさかのぼっての再検討など柔軟な姿勢で臨む」「慎重な立場の者の意見や当事者の懸念も考慮する」などとした》(7月1日付朝日新聞社説)

 こんな<理念>の安売りは止めて欲しい。例えば今回の入試改革にはどのような理念があったというのか。そこにあったのは企業の、それも一部のグローバル企業の「都合」に過ぎず、理念などというような崇高なものでは決してない。

 国家戦略もなく、ただグローバル社会を後追いで追掛けるかのように英語が話せる人材を作ろうとするのは愚の骨頂でしかない。

 日本人が英語が話せるようになっても本家本元のネイティブには敵(かな)わない。結果、日本人は欧米の後塵を拝することになってしまうだろう。

 必要なのは英会話力ではなく教養である。教養無き人間は、いくら英語がペラペラでも、英語が話せるのが当たり前のグローバル社会で評価されるわけがないのである。【続】