保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

PISA:読解力低下について(2) ~国語を蔑ろにした結果~

PISAは日本の教育政策に大きな影響を与えてきた。03年調査でも読解力や数学の順位が大幅に低下し「ゆとり教育」が原因と指摘された。それを機に、全国学力テストが始まり、学習指導要領が改定されて授業時間が増えた。

 その後、順位はいったん回復したが、前回は再び低下に転じて参加国・地域中8位となり、今回はさらに15位まで急落した》(125日付毎日新聞社説)

 「ゆとり教育」という名の「ゆるみ教育」によって学力が低下したことがPISAによって明らかとなり「ゆるみ教育」は撤回された。今回も「国語力」において顕著な低下が見られる以上、何らかの学習指導方針の変更が必要であろう。

 「国語力」はすべての科目、否、日本人として生きていくことにおいて最も重要なものであり、いかに社会がグローバル化しようとも、最優先すべきものである。が、ここ最近の傾向は、国語よりも英語重視、それもかつての教養としての英語ではなく実用英語に特化させようとしている。それがそもそもの間違いである。

 英語を日常的に使わない国において、英会話を最優先することがどれほど愚かなことであるか。英語学習に軸足を移したことで国語学習が疎(おろそ)かになり、言葉が軽薄になり、思考が表層的になってしまっては元も子もない。

《前回からはコンピューターを操作して回答する形式になった。出題例では、ある島を調査した大学教授のブログや科学雑誌の記事など複数のサイトの資料を見ながら問いに答える。インターネット上の投稿など多様な情報を吟味し活用する力、いわばデジタル読解力を試すねらいがある。

 日本は、事実と意見を見分ける問題のほか、情報の信憑(しんぴょう)性を見極め、どう対処するか根拠を示して記述する問題で、特に正答率が低い傾向が出た》(124日付産經新聞主張)

 要は「メディアリテラシー」が低いということである。これは物事の表面しか見ることが出来ないことの1つの表れであろう。

 差し詰め問題は2つある。1つは物事を「懐疑的」に見る習慣であり、もう1つが深く考えるための語彙が足りないということである。

 日常的に使用する言葉とは別の言葉が必要である。そのためには読書が欠かせない。

《調査では、本や新聞をよく読む生徒の方が読解力の得点が高い結果が出た。一方で新聞を「月に数回」「週に数回」読むと答えた日本の生徒は21・5%で、約10年前と比べて36ポイントも減った》(同)

 読書習慣が減ったのは単にスマホの普及だけではなく、本を読む大人の姿を見ることが少なくなったことも一因なのではないか。周りに本を読む大人がいないのに子供が本を読もうとするはずがないのである。【続】