保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

PISA:読解力低下について(3) ~批判的読解が必要だ~

《日本はかねて、「自分の考えを他人に伝わるように根拠を示して説明する」のが苦手といわれてきた。今回もそれは克服できていない。文科省によると、誤答の一つのパターンとして、問題文中の一節を写すだけで、自分の言葉で解答していない答案が見受けられたという。

 また、文章に寄り添って「理解する」のは得意だが、書かれている内容や筆者の考えの妥当性を吟味するといった「評価・熟考」型の問いには手を焼く傾向が指摘される。今回、OECD加盟国の平均正答率を10ポイント超下回った設問は14題あったが、うち9題がこの類型だった》(12月4日付朝日新聞社説)

 自分の考えを根拠付けて説明するのが苦手なのは日本人の文化的特性によるものだろう。日本人はあからさまに自分の考えを述べるのを好まない。当然自分の考えを説明するのが下手である。

 また、文章の内容の理解は得意でもその真偽を判断するのもまた不得手である。真偽を判断するということは相手の話に少なからず疑いの眼差しを向けざるを得ない。が、そのようなことは「人の道」に反するかのような「空気」がある。だから日本人は騙されやすいとも言えるだろう。

《学校教育の中で、他人の意見に流されずに自らの頭で考え、表現する。そんな習慣を身につけていないのではないかと思わせる結果だ。実際、テストとあわせて実施されたアンケートによると、「国語の授業で先生は生徒に対し、文章についての意見を言うように勧めている」と感じている生徒の割合は、平均を下回っていた。

 国内では長らく、もっぱら共感をもって作品を読む教え方が主流だった。それが00年のPISA開始以降、書かれていることをうのみにせず、批評的に読む方法の研究が進み、教科書も変わりつつある。しかし学校現場はその変化に追いつけていないと、秋田大の阿部昇特別教授(国語科教育)はみる》(同)

 教科書の中身の問題もあろうが、それよりも批判的に読解を行うためには事の真偽を見極めようとする「気概」が必要なのではないか。果たしてそのようなものが戦後教育にあったか否か。「自由」だ「平等」だ「平和」だ「人権」だなどと言ってきたのが戦後教育であった。

 こういった西欧産の価値観という色眼鏡を外して、真善美を見極める「批判眼」をいかに身に付けるのかが問われている。

《思考力を鍛える授業づくりには手間がかかる。教員の多忙化で、研修や教材研究の時間がとれなくなっていないか。大学の教員養成課程で新しい教え方を習得させているか――。しっかり検証して環境整備に努めるのが、文科省の使命だ》(同)

 教員が多忙だから思考力を鍛える授業づくりが出来ないのではない。思考を戦後空間の中に閉じ込めてしまうから思考が広がらず深まらないのである。

 また、大学で教わった「貯金」など現場に出れば一瞬にしてなくなってしまう。教材そして生徒に真摯(しんし)に向き合いながら自ら研鑽(けんさん)を積むことの方が何層倍も重要である。

 要は、地に足のついていない文科省が変に介入してくるからおかしくなるのである。【続】