保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

大学入試英語改革について(1) ~異常事態が放置される異常事態~

《今の高2生から新たに始まる大学入学共通テストに、英語の民間試験が導入されることをめぐり、全国高校長協会が「不安の解消」を申し入れた。

 大学入試センターが認定した6団体7種の民間試験のうち、どれを受けるかを高校生自らが決める。来年4~12月の間に何度か行われる試験のうち、最大2回まで受験でき、その結果が合否判定の材料となる。

 ところがその全体像がいまだ固まっていない。参加予定だったTOEICは今月になって撤退を表明した。受験生に大きな影響が及ぶ変更がある際は、2年前には予告するというのが、文科省自身が定めた原則だ。異常事態というほかない》(7月30日付朝日新聞社説)

 まさに<異常事態>である。が、このような文部科学省主導の改悪はお馴染みのことである。教育改悪が進められようとしているのに、政治家がこれを止めようとしているという話は聞かないし、森友・加計問題なら血眼になるマスコミもあまり興味がないようである。

 そもそも現行のセンター入試を止める理由がない。日本人の多くは中学・高校と6年間も英語を勉強してろくに英語が話せないのは英語教育の失敗であるという理由で、英語教育を変えるのではなく、大学入試を変えるというおかしな改革、否、「改悪」が行われようとしているのである。

 想像するに、中高の英語教育を変えようとしても暖簾(のれん)に腕押しになりかねない。それなら、大学入試を変えてしまう方が手っ取り早いと改革派は考えたのではないか。

 が、そのようなことをすれば中高の教育現場は大混乱を来(きた)すこととなる。大学入試を無視するわけにはいかないから、たとえそれが混乱を引き起こすのだとしても、半ば必然的に、否も応もなく指導内容を変えざるを得ない。

 大学入試とは本来、大学での研究・学習のために必要な学力を有しているかどうかを判定するものであるはずだ。が、英語のスピーキング力が大学生に一律に必要であるなどとは到底思われない。むしろ、さして必要がないことの方がほとんどであろう。

 インバウンドの観光客が増えている昨今、簡単な英会話くらいは出来るようにしておくのが受け入れ国の「たしなみ」であると言えるのかもしれないから、中高の英語教育にそのような目標を設定することはあってよい。が、だからといって大学入試にスピーキングテストは不要である。

 むしろ大学入試にスピーキングテストを課すことによって読解力や筆記力が下がってしまい、大学での研究・学習に支障を来しかねない。これは英語だけに限らないが、大学生の学力不足は今に始まったことではない。【続】