保守論客の独り言

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大学入試英語改革について(2) ~公平、公正さが担保できない新制度~

《入試改革の眼目の一つは、ペーパー試験偏重の「一発勝負・1点刻み」からの脱却だった。受験機会が多く、6段階で評価する英語民間試験は、その方向に沿う》(8月17日付読売新聞社説)

 「一発勝負・1点刻み」がそんなに悪いことなのだろうか。そんなことで実績のあるセンター試験を止め、公平さが担保されない民間試験を導入するのだとしたら余りにも馬鹿げている。

《英語の実践力を入試で問うことには、高校までの英語教育を、読解中心からコミュニケーション重視に転換させる目的もある》(同)

 これも意味不明である。転換させるも何も、今高校で実施されているのは「コミュニケーション英語」である。しっかり調べもせず知ったか振りで書くからこんな頓珍漢な話になるのである。

《来年4月の開始まで7カ月と迫っているのに、受験生の不安は高まるばかりだ。

 大学入学共通テストに導入される英語民間検定試験の利用を巡り、全ての学部や選抜区分で「未定」とした四年制大学が204校に上った。

 英語民間試験の関連情報を集約するサイトの開設に向けた文部科学省の調査で分かった。未回答も22校あり、利用の有無が明らかになっていないのは全体の3割を占めている》(8月29日付京都新聞社説)

 来年4月に間に合えばよいということなのか。が、何をどう勉強すればよいのか計画が立たない受験生にとっては迷惑千万でしかない。こうまで間に合っていなければ延期するのが筋だろうが、そのような声は聞かれない。もし間に合わなければ誰がどう責任を取るというのだろうか。

《今のマークシート式では語学力の「読む・聞く・話す・書く」の4技能のうち「話す・書く」は測れない。そうした改革の意義は理解できるとしても、なぜ民間試験となるのか、根本的な理由はなお分かりにくい》(同)

 私には<改革の意義>はまったく分からない。今のセンターテストに「話す・書く」がないのは公正な測定が出来ないからである。公正さが担保されないスピーキングテストを実施することにどんな意義があるというのか。

《47都道府県で試験の実施を予定しているのは、現時点で2団体だけ。団体によっては会場が大都市中心で、地方の学生にとっては不利になる恐れがある。

 中国地方でも、2団体を除く4団体は広島を中心に岡山、山口で実施するとしているが、どの都市になるか不明なままだ。

 受験料も2万5千円以上する試験もある。会場までの旅費や宿泊代などの負担も小さくない。経済事情で受験機会に影響が出かねない。これでは入試の大前提となる公平、公正さが担保できたとは言い難い》(8月30日付中國新聞社説)

 公平、公正さが担保できない新制度を止めようとする政治家がいないのはどういうことなのだろうか。【了】