保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

御代替わりと新元号(3) ~伝統に優先する「国民生活」~

《平成改元の際は、昭和天皇が逝去し、天皇陛下が即位された後に元号の制定手続きが行われたため、一部混乱を招いた。

 事前公表に踏み切る理由を、安倍晋三首相は「国民生活への影響を最小限に抑える観点から」と説明する。「国民がこぞってことほぐことができるよう政府として全力を尽くす」と言うのなら、準備期間をもっと長く取るべきではなかったか》(1月8日付神戸新聞社説)

 確かに、「国民生活への影響」が優先されるのであれば、もっと早く元号を発表することも出来た。要は、世間の顔色を見て「落し所」を探った結果が4月1日の発表ということになったのだろうと思われる。

《2017年に退位特例法が成立した頃は18年夏の公表が有力視されていた。迷走したのは、新天皇による新元号公布に固執した保守系団体や自民党議員らが異を唱えたためだ。

 一部保守派には天皇元号は「一体不可分」との考えがあるという。安倍首相はそうした層の支持が厚く、調整に腐心したとされる。最終的に準備期間を1カ月とし、今の天皇陛下による事前公布と新天皇即位時の改元で折り合った》(同)

 天皇をこのような政治的綱引きに巻き込むべきではない。要は、準備不足だったのである。いずれは何某かの答えを出さなければならない皇室の問題を先送りにしてきた結果、試験の前日に「一夜漬け」の勉強で間に合わせるかのような政治決着となってしまったのだと思う。

自民党内には「新天皇の即位後に新元号を公表するのが筋だ」との反対論があった。事前に発表するにしても、新元号を定めた政令の署名と公布は、新天皇が行うべきだ、と主張した。その場合、改元は5月2日となる》(1月8日付読売新聞社説)

 「国民の生活が第一」と言っていたのは今は無き民主党であったが、今回の新元号前倒しも、同じ考え方に立つものだと思われる。産經ですら同様の認識である。

《コンピューターが発達した時代に、譲位に伴う改元があるのは初めてだ。円滑な国民生活のため、5月1日の新天皇即位より前に新元号が示されるのは望ましい》(1月3日付産經新聞主張)

 確かにこれは現行憲法の精神に合致するものである。天皇の存在は国民の総意に基づくものであるから、国民の生活が最優先されるのも宜(むべ)なるかな(仕方のないこと)である。

 が、それでいいのであろうか。戦後日本は、憲法に規定されることで天皇が存在するがごとき倒錯を認め続けてきた。が、天皇ははるか昔から日本に存在し続けてきたのである。万世一系の伝統よりも「国民の生活」を優先するがごとき「錯誤」に納得がいくわけがない。

 が、過去から御輿(みこし)に載せて運んできた「輿論」(public opinion)ではなく、現在の気分次第で猫の目のように変わる「世論」(popular sentiments)が世の中を闊歩(かっぽ)する大衆民主主義の世の中では何を言っても無駄である。

元号は、内閣が政令で定める。利便性よりも、伝統や手続きにことさらにこだわり、トラブルが生じれば、和暦よりも西暦を使う「元号離れ」が一層進むのではないか。新元号が国民生活に親しまれない恐れさえあるだろう》(同、読売社説)

 熟(つくづく)読売は戦後日本を象徴する世俗的な新聞だなあと思う。【了】