先日も私は陛下は政治的発言をなされるべきではない旨を本ブログに書いた。それは御発言が「政治利用」されかねないからである。
平成元(1989)年1月9日、今上陛下は、皇居宮殿で行われた即位後の「朝見の儀」において次のように述べられた。
「大行天皇の崩御は,誠に哀痛の極みでありますが,日本国憲法及び皇室典範の定めるところにより,ここに,皇位を継承しました。
深い悲しみのうちにあって,身に負った大任を思い,心自ら粛然たるを覚えます。
顧みれば,大行天皇には,御在位60有余年,ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され,激動の時代にあって,常に国民とともに幾多の苦難を乗り越えられ,今日,我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し,平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。
ここに,皇位を継承するに当たり,大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし,いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ,皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い,国運の一層の進展と世界の平和,人類福祉の増進を切に希望してやみません」
<日本国憲法を守り,これに従って責務を果たす>。国民なら問題はない。が、天皇は違う。天皇は日本国憲法に縛られてはならない。もしも日本国憲法を守ることが日本の伝統に背くとすれば、天皇はたとえ日本国憲法に背くことになったとしても伝統に寄り添わねばならない。なぜなら天皇の存在の拠り所は伝統にあるからである。
天皇は憲法が制定される前、遥か昔から存在してきた尊い存在である。にもかかわらず、国民の総意によって天皇を置いてかのように憲法に規定するのは「不敬」の極みではないか。
我々日本人は戦後70有余年にわたってこの冒涜(ぼうとく)を看過してきた。天皇の存在の根拠が伝統であろうと憲法であろうと与(あずか)り知らぬ国民がほとんどなのであろう。
が、「国民の総意」などという気分次第の基準では、いつ何時天皇制廃止論が持ち上がらないとも限らない。天皇制は必要か不要かなどといった不遜な世論調査が繰り返して行われるなどというおぞましい事態にもなりかねない。
《天皇が憲法を守ることは当然です。憲法99条で「天皇又(また)は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ(う)」と定められているからです》(1月4日付東京新聞社説)