保守論客の独り言

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三島由紀夫が指摘する憲法問題について(1) ~憲法1条と2条の矛盾~

日本国憲法

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 三島由紀夫は、戦後憲法における天皇規定の矛盾を衝(つ)く。

《第1條と第2條の間には明らかな論理的矛盾がある。すなはち第1條には、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるが、第2條には、「皇位は、世襲のものであって」とあり、もし「地位」と「皇位」を同じものとすれば、「主権の存する日本国民の総意に基く」筈のものが、「世襲される」といふのは可笑しい》(「新憲法における『日本』の缺落」:松藤竹二郎『血滾る 三島由紀夫憲法改正』(毎日ワンズ)、p. 106)

 三島の指摘は尤(もっと)もである。「地位」と「皇位」が同じものなら第1条と第2条は矛盾である。

 戦後憲法は敗戦後、GHQ占領期に押し付けられたものなので、原文の英語を確認しておこう。

Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.

Article 2. The Imperial Throne shall be dynastic and succeeded to in accordance with the Imperial House Law passed by the Diet.

 日本語の「地位」と「皇位」にみられる言葉の類似性は、英語のhis positionとImperical Throneには見られない。

《もし「地位」と「皇位」を同じものとせず、「地位」は国民の総意に基づくが、「皇位」は世襲だとするならば、「象徴としての地位」と「皇位」とを別の概念とせねばならぬ。

 それならば、世襲の「皇位」についた新らしい天皇は、即位のたびに、主権者たる「国民の総意」の査察を受けて、その都度、「象徴としての地位」を認められるか否か再検討されねばならぬ。しかもその再検討は、そもそも天皇制自体の再検討と等しいから、ここで新天皇が「象徴としての地位」を否定されれば、必然的に第2條の「世襲」は無意味になる。いはば天皇家は、お花の師匠や能役者の家と同格になる危険に、たえずさらされてゐることになる》(同、pp. 106-107)

 実際陛下は、「世論調査」等によって、しばしば国民の信認が得られているかどうかが確認されてもいる。が、陛下が<日本国の象徴>ないしは<日本国民統合の象徴>に足る存在かどうかなどどうして国民に判断出来ようか。

 主権者なのだから判断できると強弁するのかもしれない。が、判断するためには天皇がどのような存在なのかを知る必要がある。が、我々には判断に足る情報もなければ知識もない。だから、是か非かの判断はまったく感覚的なものと成らざるを得ない。こんな世論調査など無意味である。【続】