保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

象徴天皇の在り方を模索するという錯誤について(3) ~国民には死者も含めて考えるべし~

象徴天皇制は、国家の制度を特定の個人と一家が背負う仕組みであり、その人数、年齢、健康状態などに起因する限界や矛盾を常に抱える。何より、公務を担う皇族が減るなか、平成の時代にぎりぎりまで広がった活動を、この先いかなる判断基準に基づき、どう整理するのかという難題が待ち受ける。

 最終的にその当否を判断するのは主権者である国民だ。皇室は「日本国民の総意」のうえに成り立っていることを、いま一度確認しておきたい》(4月30日付朝日新聞社説)

 憲法上はその通りであろう。主権は国民にあり、皇室はその国民の総意の上に成り立っている。が、ここに言う「国民」とはいかなる存在なのか、憲法にはその規定がない。

 普通、「国民」と言えば今を生きる「生者」のことを指すのであろうが、こと天皇に関する限り、この「国民」は「死者」も含めて考える必要がある。「死者」も含め、今ある日本を築き上げてきたすべての人々を「国民」と考えるとすれば、「日本国民の総意」とは「伝統」と同意になる。

 「主権」に関しても同じことが言える。「死者」も含めた日本国民すべてに主権があるとすれば、それは「伝統」を重んじるということと同じことになる。このように考えれば、民主主義の鬼子とも言える「ポピュリズム」なる「生者の熱狂」にも冷静に対応できるに違いない。成熟した大人の民主主義である。

《最近の風潮で気になるのは、現実政治に対する失望や焦燥が天皇への期待を呼び起こし、求心力を高めるひとつの原因になっていることだ。一方で、憲法に忠実であろうとした陛下の退位を、憲法が保障する自由や権利、平等などの価値を否定し、戦後体制の見直しにつなげようとする言動も目につく。

 どちらも皇室の政治利用につながる動きで、認められるものでない。天皇に頼るべきでないことを頼る空気がはびこるのは危うい。その認識を一人ひとりが持つ必要がある》(同)

 奥歯に物が挟まった言い方をしているのでよく分からないが、今の日本に<天皇に頼るべきでないことを頼る空気>が蔓延(はびこ)っているとは思われない。むしろ天皇の御発言をしばしば都合よく利用しているのは朝日をはじめとする左寄りマスコミの方ではなかろうか。

天皇が国民統合の象徴であるためには、この社会が実際に統合されていなければならない。言うまでもなくそれは、ひとつの色で国を染め上げたり、束ねたりすることではない。多様な価値観を認め、互いを尊重しあう世の中を築くことだ》(同)

 天皇によって日本が歴史伝統的に統合されてきたからこそ<多様な価値観>を認め合えるのである。このあたりの原理が分かっていないから杞憂(きゆう)を抱くことになってしまうのであろう。【了】