一燈照隅(池内の日記)

~天邪鬼(あまのじゃく)の独り言~

御代替わりと新元号(1) ~政治色の濃い「譲位」~

天皇陛下が、皇太子殿下へ皇位を譲られる歴史的な年を迎えた。立憲君主である天皇の譲位は、日本の国と国民にとっての重要事である》(1月3日付産經新聞主張)

 <立憲君主である天皇>。産經までもがこの程度の認識なのかと私は遣る瀬無さを感じた。

 この場合、「立憲君主」とは「絶対君主」の対義語で、憲法によって制限された君主を意味する。が、天皇には「権威」はあれども「権力」はない。憲法で「権力」は制限できても「権威」は制限できない。

 憲法によって天皇を縛ろうとするのは天皇とはどのような存在なのかを理解していないからである。日本国憲法の草案を書いた占領軍が天皇の存在が理解できないのは仕方ないとしても、日本の保守系新聞がこのような認識であることに私は愕然(がくぜん)としてしまう。

 誤解なきように付け足せば、私は日本が「立憲君主国」でないと言っているのではない。「天皇を戴く立憲主義国」というのであれば問題はない。が、これを「憲法によって制限された君主国」と考えるのは間違いであろうということである。

《譲位は江戸時代後期の文化14(1817)年に、第119代の光格天皇仁孝天皇へ譲られて以来、202年ぶりとなる》(同)

 天皇の存在は本来伝統に基づくものであるが、現行憲法では

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

とされている。であれば、今回の「譲位」はまさに「合憲」ということになるのであろう。

 が、日本国憲法は戦前を否定すべく制定されたものである。だからこそ余計に今回の「譲位」は伝統に背くもののように感じられてしまうのである。

 伊藤博文公は『皇室典範』作成するにあたって「譲位」を否定している。

《再び恭て按ずるに、神武天皇より欽明天皇に至る迄三十四世曾て譲位の事あらず。譲位の例の皇極天皇に始まりしは、蓋し、女帝仮摂より来る者なり。(継体天皇安閑天皇に譲位したまいしは同日に崩御あり。末だ譲位の始となすべからず)聖武天皇、皇光天皇に至って遂に定例を為せり。此を世変の一とする。其の後、権臣の強迫に因り両統互立を例とするの事あるに至る。而して、南北朝の乱、亦此に源因せり。本条は践祚を以て先帝崩御の後に即ち行われる者と定めたるは上代の恒典に因り、中古以来譲位の慣例を改める者なり》(樞密院議長伊藤伯著『帝國憲法 皇室典範 義解』(國家學會刊行版):呉PASS復刻選書4、pp. 107-108

神武天皇から欽明天皇まで34代譲位はなかった。譲位の例は皇極天皇から始まるが、女帝のため一時的に大政を摂ったことからくるものであった。(継体天皇安閑天皇に譲位されたが同日に崩御され、譲位の始まりとなるものではない)聖武天皇、皇光天皇に至って定例化した。これは世の乱れの1つである。その後、権力をもった臣下の強迫によって例えば両統迭立(りょうとうてつりつ)のようなことが起るまでとなってしまった。南北朝の争乱もここに原因がある。この条文で践祚(せんそ)を先帝崩御(ほうぎょ)の後すぐに行われるものとしたのは、上代の一定不変の規則により、中世以来の譲位の慣例を改めるものである)【続】