保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

女性・女系天皇について(2) ~皇室の存在は風前の灯~

《新天皇に期待する役割を複数回答で選んでもらったところ、「被災地訪問などで国民を励ます」が最も多く66%、「外国訪問や外国要人との面会」が55%、「戦没者への慰霊など平和を願う」が52%――などとなった》(朝日新聞デジタル2019/04/18 20:35)

 が、これらはすべて「目に見える天皇」である。天皇には我々が直接目にすることが出来る「目に見える天皇」と、直接は目に出来ずとも心の中に思い描くことが出来る「目に見えない天皇」がある。戦後日本人は後者「目に見えない天皇」の存在に余りにも無関心である。否、そのような存在があることを意識したことがない人がほとんどであろうと思われる。

 当たり前のことであるが、ごく普通の人間が被災地を訪れたとて「慰問」と呼べるようなものにはならない。陛下が訪問されるからこそ「有難いこと」と受け取られるのである。そこには目には見えない「権威」というものがある。そしてその権威の源(みなもと)は万世一系の伝統にある。

 が、この「伝統」が崩れつつある。その1つが直後に迫った天皇生前退位である。生前退位自体がなかったわけではない。否、むしろ生前退位の方が優勢であったとも言える。

《史上初の上皇、持統上皇(第41代天皇)から最後の上皇光格上皇(第119代天皇)まで59人が生前退位して上皇となっています。…が、実はこの中には亡くなる直前に退位した天皇も多く含まれています。亡くなる直前に退位しなければいけない理由は、日本独特の「ケガレ」を忌避する文化にあります。「死」はケガレの源と考えられていたため、天皇が在位中に亡くなってしまうと、天皇という地位そのものがケガレてしまうとされ、そのような事態を避けるため、天皇が亡くなりそうになると退位・譲位して上皇になってから亡くなっていただくことにしたわけです》(汎兮堂叢話

 が、明治になって伊藤博文が、天皇が政変に巻き込まれぬよう『皇室典範』で生前退位を禁じたのである。

《再び恭て按ずるに、神武天皇より欽明天皇に至る迄三十四世曾て譲位の事あらず。譲位の例の皇極天皇に始まりしは、蓋し、女帝仮摂より来る者なり。(継体天皇安閑天皇に譲位したまひしは同日に崩御あり。未だ譲位の始となすべからず)聖武天皇、皇光天皇に至て遂に定例を為せり。比を世変の一とする。其の後、権臣の強迫に因り両統互立を例とするの事あるに至る。而して、南北朝の乱、亦比に源因せり。本条に践祚を以て先帝崩御の後に即ち行わる者と定めたるは上代の恒典に因り、中古以来譲位の慣例を改める者なり》(伊藤博文皇室典範義解』(典PASS出版)、pp. 107-108)

 が、大した議論もなく、むしろ結論ありきで話が進められ、あれよあれよという間に「生前退位」が復活することとなったのである。

 私が懸念するのは、この「お座なりの議論」である。生前退位は有りや無しやが歴史を繙(ひもと)きながら冷静に議論なされた結果であれば問題はない。が、実態は、陛下の意向を汲み、世論を追い風にして事を決してしまった。

 死者の功績に掉(さお)さす「輿論」(よろん)ではなく、生者の感情に任せた「世論」(せろん)によって物事を決すれば、皇室の存在は「風前の灯(ともしび)」となってしまうだろう。私はこのことを非常に危惧するのであるが、いかんせん多勢に無勢の感は否めない。【了】