《全国の小学校で2020年度から使われる教科書の検定結果を文部科学省が公表した。
学校で教える内容を決めている学習指導要領が20年度から全面的に新しくなるのに対応した。
5、6年生で学ぶ英語の教科書が新たに合格し、6年の理科のすべての教科書でコンピューターのプログラミングが盛り込まれた。
教科書の分量は平均1割増となった。討論や発表、課題探求を重視し、子どもたちが主体的に深く学ぶよう促している》(3月28日付京都新聞社説)
まさに「絵に描いた餅」である。学習指導要領をいじれば教育を思うように変えられると考えるのは「浅慮」であり「傲慢」である。文部科学省は「ゆとり教育」の失敗から何も学んでいない。
<討論や発表、課題探求を重視し、子どもたちが主体的に深く学ぶ>。が、そもそも子供は勉強を欲しているわけではないから、子供たちを主体的に学ばせることなど至難の業である。受験に必要な勉強というのならまだしも、これまでの学習内容を押しのけてまでどうして討論や発表が必要なのか。
そういうものがあってよいということまで否定しようとは思わないが、討論や発表、課題探求を重視し、子供たちを主体的に深く学ばせようなどという空理空論によって教育現場を掻き乱すことは百害あって一利なしでしかない。
小学校から本格的に英語を学ばせるのも空論であるし、プログラミングなどというものもなぜ必要なのかさっぱり分からない。
《新指導要領では、高学年を中心にプログラミングも扱う。
重点は技術の習得よりも考える力を鍛えることにある。ある教科書は、1辺4センチの正方形をロボットに描かせるにはどうするかを問い、「4センチ直進」「90度左折」の指示を重ねることを教えたうえで、次の課題を示す。必要なのは、筋道を立てて考え、正確に伝える力だと気づかせる工夫だ。
技術はいずれ古くなっても、論理的な思考は一生役に立つ。国語の説明文などの理解力向上にも通じるとの認識をもって、指導にあたってほしい》(3月28日付朝日新聞社説)
ほとんどの児童には将来プログラミング技術は不要であろう。小学生に絶対必要な「読み・書き・計算」を削ってまでやるようなことではない。幼稚なプログラミング学習で培われた<論理的な思考>など将来何の役にも立たないだろう。国語、算数を中心としたこれまでの学習を充実させる方が圧倒的に重要である。
大事なことを削って要らぬことをやらせようとする文科省を改革する方が教育改革を進めるよりも先ではないか。否、「教育を弄(もてあそ)ぶだけの文科省は解体すべし」が私の持論である。【続】