保守論客の独り言

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2021年度中学教科書検定を巡って(1) ~妄想に駆られた検定~

文部科学省は、2021年度から中学校で使われる教科書の検定結果を公表した。

 「主体的・対話的で深い学び」を掲げる新学習指導要領の全面実施で、教科書は大きく変わった。

 公民では、社会保障の授業の最初に中学3年までの医療費や教育費を調べ、課題や学ぶ意義を考えさせるなど、各教科で知識偏重からの脱却を打ち出している。

 国際競争にさらされる経済界の意を受けた政府の方針で、英語教育の刷新やプログラミング学習など、随所で実用性が強められた》(331日付北海道新聞社説)

 「主体的・対話的で深い学び」という「妄想」に囚(とら)われたカリキュラムの改変は、日本の教育を間違いなく駄目にしてしまうだろう。

 十分な<知識>が身に付いていない子供達に「考えさせる」ことにどれほどの意味があるのか。勿論、知識が足りなくても考えることは出来る。が、それはおそらく表層的なものに留まるだろう。深く考えさせるためには十分な知識がまず要る。

 知識詰込み一辺倒の授業でよいとは言わないが、「考えさせる」ことにこだわり過ぎ、<知識>の習得が疎(おろそ)かになることだけは避けなければならない。

 さらに、主体的学習ということで「発表」にも力を入れることになっている。就活から企業のコンペまで、今後プレゼンは社会の様々な場面で重要性を増していくように思われる。

 が、これを授業に取り入れていくには準備も含め多大な時間と労力が必要となり、ますます知識の習得がなおざりになる。結果、知識不足で思考が浅薄となり、発表も上辺だけのものになってしまいかねない。

《学習内容は質量とも増えた。教科書の消化に追われ、生徒が置き去りにならないか、懸念もある。

 学校の働き方改革は緒に就いたばかりだ。「深い学び」をどう実際に保障していくか、文科省自治体の取り組みが問われる》(同)

 「質」は高まるのであって<質量とも増えた>はおかしな日本語だがそれは措く。また、<学校の働き方改革>など有名無実である。はっきり言って授業以外の仕事が多すぎるのである。教師は授業に専念すべし、とすれば多くの問題は解決されるだろうが…

 言葉は明瞭だが具体的中身が判然としない「深い学び」など保障できるはずがない。「深い学び」を目指した授業があれやこれやと試行錯誤の末「浅い学び」に終わってしまっては元も子もない。

《目立つのは量だ。道徳を除く9教科の総ページ数は「ゆとり教育」の頃の約1・5倍もある。

 質も変化した。たとえば英語は英語で授業を行い、4技能の「話す」なら即興的なやりとりもある。生徒の実力差に目配りしつつ指導するには、教員の英語力向上とともに相当な工夫が必要だ》(同)

 英語の授業を英語で行う。要は、従来の「文法訳読法」の否定である。が、文法や訳読を否定してどのような授業が出来るのか。

 滅茶苦茶優秀な教師と生徒が揃えばそのような夢の授業が可能なのかもしれないが、現実的に言って、全国一律に英語の授業を英語で行うことは不可能であるし、その必要もない。【続】