保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

新高校教科書について(1) ~「主体的、対話的で深い学び」という「妄想」~

文部科学省は2022年度から主に高校1年生が使う教科書の検定結果を公表した。

 「主体的、対話的で深い学び」を掲げる新学習指導要領に対応した初めての検定で、合格した教科書には随所に「問い」を設けて話し合いや考察を求める構成が目立つ。

 大学入試を意識するあまり、教員から生徒への一方通行になりがちな高校教育を変えるチャンスである。新しい教科書を活用する現場を国や自治体はしっかり支え、生徒の深い学びを実現したい》(4月1日付南日本新聞社説)

 「主体的、対話的で深い学び」という新たな「妄想」に憑(と)りつかれた新学習指導要領は、教育を混乱させ、子供達の学力を低下させるのに一役買うに違いない。

《「公共」は18歳選挙権を受け主権者教育を担う。原発尊厳死など実社会でも意見が分かれる問題を取り上げて議論を促し、政治や社会との関わり方を学ぶ》(同)

 様々な問題が複雑に絡み合う原発問題をどう議論させようと言うのだろうか。例えば、原発を稼働しなくても日本の電力需要をまかなえるのかどうか1つとっても簡単な話ではないし、原発を稼働させなくとも廃炉や核廃棄物処理の問題は残る。私は稼働させながら核技術を高め、これらの問題を解決する方法を探るべきだと考えるが、福島第1原発事故が有耶無耶(うやむや)にされたままでは再稼働は覚束ない。自民党旧民主党もこれ以上情報を開示する気はなさそうである。情報が不足している中で、果たして議論が成立するのか、といった問題が考えられる。

《日本と世界の近現代史を横断的に学ぶ「歴史総合」は、数々の戦争を繰り返しながら国際化社会が形成された過程を解説し、現代に続く社会問題と関連付ける。国際社会での活躍に必要な歴史理解や多面的な思考力を身に付けるのが目標という》(同)

 <数々の戦争を繰り返しながら国際化社会が形成された過程>をどう描くのか興味津々であるが、限られた頁(ページ)で書き切ろうとすれば、大事なことがことごとく捨てられてしまい、1つの偏向した軽薄な歴史観へと誘導されかねない危惧もある。それでなくとも近現代史は主観が入り込む余地が大きく、どこまで行っても客観公正に記述するのは至難の業である。

《大学医学部入試での女性差別の問題を特集した教科書は「男性、女性の立場から議論してみよう」と問いかける》(4月1日付信濃毎日新聞社説)

 「男女平等」について<男性、女性の立場から議論>しようとするのは矛盾である。また、大学医学部入試で女性が差別されたことも男女平等であるべきだと簡単に論じられる話でもない。差別の裏にどういったことがあるのか、医療界にどのような闇があるのかを知らなければ軽々に判断することは出来ないはずである。

 が、このような問題は一般化されていないし、されるようなものでもないのだろう。であるなら、どうして議論が成り立つのだろうか。【続】