保守論客の独り言

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幼稚な憲法議論を駁(ばく)す(1) ~日本国憲法は革命不発の残滓~

《新時代を迎え、これからの憲法論議にどう取り組めばよいだろうか。

結論からいえば、あまり気負いすぎないことだ。わたしたちは、憲法は不断の見直しが欠かせないと訴える一方、憲法改正そのものが目的であるかのような改憲論とは距離を置いてきた。

この姿勢をただちに変える必要があるとは考えていない》(5月3日付日本経済新聞社説)

 ここで言う「わたしたち」とは誰のことか。日本経済新聞社ということか。それとも護憲派ということか。が、日本経済新聞社護憲派を代表しているとは誰も考えないであろうから、日本経済新聞社ということになるのであろう。

《戦後、いまの憲法ができた際、GHQ連合国軍総司令部)による押し付けがあったのは事実である。ただ、その過程で日本の憲法学者らの提言も一定の影響を与えていたし、「健康で文化的な最低限度の生活」で知られる25条のようなGHQ草案になかった条文も盛り込まれている。

施行後70年以上を経て、国民生活に定着している法体系を、押し付けだからという理由だけで全否定するのは非現実的だ》(同)

 占領軍にとってどうでもいいことは日本側の言い分も通ったが、「戦争放棄」だの「主権在民」だのといった中心的な部分は日本の言い分は通らなかった。「健康で文化的な最低限度の生活」という部分をワイマール憲法好きの左寄りの人たちは過大に評価するのだが、このようなことは憲法の本質とは無関係と言って良い。やはり日本国憲法は「押し付け」だと言うのが基本認識でなければならない。

 このことを押さえた上で憲法を考える必要があるが、例えば私は現行憲法が押し付けだから廃棄せよと言っているのではない。「国民主権」「戦争放棄」「基本的人権」といった中身が間違っているから廃棄すべきだと言っているのである。

 フランス革命を模して、日本に革命をもたらすお膳立てをしたのが日本国憲法だった。ただフランスと日本では民族性が異なり、日本には革命が起きなかっただけである。

 日本国憲法は革命が不発に終わった残滓(ざんし)に過ぎない。憲法公布後72年が過ぎ、ソ連邦解体によって社会主義共産主義の失敗が実証された。にもかかわらず、革命志向の憲法を抱え続けている意味が私には分からない。

《いまの憲法によって、現に困っていることがあるのか。そうした冷静な検討を丁寧に進め、その先に結果として憲法改正があるというのが、あるべき憲法への向き合い方ではなかろうか》(同)

 困っているか困っていないかは人ぞれぞれであり、例えば改憲派は困っていると言うだろうし、護憲派は困っていないと言うだろう。したがって、このような議題設定は意味を持たない。

 本当は困っているのだが、困っていることに気が付かない人たちが大勢おり、困っていることが分かっていても困っていると口が裂けても言えないという人たちもいる。

 戦後平和博愛教育のせいで、日本国憲法は素晴らしいものだと「洗脳」され続けている限り、日本は負け犬の敗戦後体制を改めることは出来ないだろう。【続】