一方、井上氏の説は明快である。
《私は、修正主義的護憲派の憲法解釈は、無理だと思っています。
この解釈は結局、旧来の内閣法制局見解と同じですね。「専守防衛の範囲なら自衛隊と安保は九条に違反しない」。安倍政権が変えようとしているものだけど。
もともとは、1946年の帝国議会憲法改正委員会で、野坂参三が、自衛のための戦力まで放棄するのはおかしいじゃないか、と言ったのに対して、吉田茂が、これは自衛のための戦力も放棄したという趣旨でございます、とはっきり答弁したわけですよね。
しかし、間もなく占領政策の右旋回を受けて、警察予備隊とか保安隊とかをつくって、最終的に自衛隊になる。それに関して吉田は、自衛隊は軍隊ではありません、と言う。これは詭弁ですよね。専守防衛の枠内ならば、自衛隊のような、あれだけ大きな武装装置が戦力ではない、と言うのは。
もう一つの日米安保にいたっては、アメリカの軍事力が戦力でないとはとでも言えない。かりに自衛隊が戦力未満だとしても、世界最強のアメリカの戦力を使って自衛のための戦争をおこなうことが、交戦権の行使に当たらないなんて、これは憲法解釈として、どうあがいても無理です。
「専守防衛の範囲なら」云々の内閣法制局見解は、すでに解釈改憲ですよ。だから、護憲派が一時期、安倍政権による解釈改憲から内閣法制局が憲法を守ったなんて言っていたけど、これはウソで、新しい解釈改憲から古い解釈改憲を守ったにすぎない。
私がまず修正主義的護憲派に言いたいのは、自分たち自身が解釈改憲をやっているのだから、安倍政権の解釈改憲を批判する資格はない、ということ。安全保障に関する自分たちの政治的選好を解釈改憲で実現・維持しょうと自分たちがしていながら、安倍政権が、自分たちと違う政治的選好を解釈改憲という同じ手段で実現しようとするのはけしからん、というのは通らない》(井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(毎日新聞出版)、pp. 48-49)
が、問題は次の部分である。
《私は、憲法9条を削除せよ、と主張しています。
そういうことを言うだけで、日本の今の言論界では総攻撃を受けるんですね。
誤解してほしくないのは、私、が言っているのは九条「削除」であって、9条改正、ではない。
原理主義的護憲派のなかには、井上は改憲論者だ、9条削除こそが改憲論者の最もやりたいことだ、と言う人がいる。つまり、井上の狙いは、今の安倍政権のような自民党保守派の狙いと同じだ、というような。
しかし、そうではない。私は、安全保障の問題は、通常の政策として、民主的プロセスのなかで討議されるべきだと考える。ある特定の安全保障観を憲法に固定化すべきでない、と。だから「削除」と言っている》(同、P. 52)
<9条削除>だなんて、何を言い出すんだと思う人が大半であろう。否、井上氏の主張を「然もありなん」と受け止める人など稀有(けう)な存在に違いない。
が、私は9条どころか、成文憲法たる日本国憲法のすべてを破棄し、英国流の「不文憲法」で行くべきだと元来主張してきた。
いずれまた詳しく述べる機会もあるだろうから、今回はこの辺りに留めておくことにしたい。【了】