保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

チベット問題で「中国は民族融和を目指せ」という神戸新聞社説

《弾圧に抵抗するチベット人が中国軍と衝突し、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が亡命する契機となったチベット動乱から、60年となった。

 亡命政府があるインド北部ダラムサラで開かれた式典で、ロブサン・センゲ首相は「中国はチベットの文明の根絶を図ってきた」と批判した。一方、中国の最高人民検察院の幹部は全国人民代表大会で、少数民族の取り締まりを強化する決意を表明した》(322日付神戸新聞社説)

 もう我々は慣れっこになってしまっているけれども、そもそもChinaを「中国」(世界の中心の国)と呼ばされている時点で負けているのである。北朝鮮が日本人拉致を認めるまで「朝鮮民主主義人民共和国」と呼ばされていたのと変わりはない。Chinaはシナであって、シナという呼称に悪意があるだの侮蔑的だのというのであれば、英語のChinaという語も変えなければならない。

(参照)違和感を覚える沖縄「土人」発言(3) ~「シナ」は差別用語ではない~ | 池内昭夫のブログ - 楽天ブログ

 チベットの話に戻ろう。そもそもチベットはシナのものではない。シナが力尽くで併合し弾圧しているだけである。シナの<少数民族の取り締まり>などという勝手な言い分を「公平」の観点から載せているのだとすれば、それは「公平」の履き違えでしかない。

《亡命政府は、チベット独立ではなく「高度な自治」を求めて対話を呼びかけている。しかし中国政府はダライ・ラマを「分裂主義者」と敵視し、統制強化の姿勢を緩めようとしない。

 宗教の自由や人権尊重など、国際社会が共有する価値観をふみにじる行為を重ねており、到底容認できない。中国は抑圧を直ちにやめねばならない》(同)

 私は<宗教の自由や人権尊重>などの価値観を国際社会が共有しているということを寡聞(かぶん)にして知らない。西欧はそういう傾向がみられるかもしれないが、西欧だけが国際社会ではない。実際、シナには宗教の自由もなければ人権の尊重もない。GDP世界第2位の国すら含まれない国際社会って何なのか。

 否、宗教の自由や人権尊重などというものを持ち出さなくとも、責められるべきはシナの拡張主義である。チベットにせよ、新疆(しんきょう)ウイグルにせよ、台湾にせよ、はたまた南シナ海にせよ、シナは現在進行形の「侵略国家」なのである。

《中国は50以上の民族を抱え、イスラム教徒のウイグル族などにも圧政を強いている。抑圧と反発の繰り返しは、国内をいっそう不安定にするだけだ。

 世界の成長を支える大国へと発展した今、少数民族との融和と共存へかじを切るよう、国際社会が協力して中国への働きかけを続ける必要がある》(同)

 今なお民族弾圧をし続けている国が今さら<融和>に舵を切るなどということが出来るはずがない。否、出来たとしても今さら<融和>もない。

 平和呆けの甘っちょろい社説子には分からないのだろうが、シナの民族弾圧が止むのは、おそらくシナという国が崩壊する以外にはない。それが現実なのだということを踏まえた上で発言すべきである。