保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

児童虐待防止について(2) ~社会の教育力を高めよ~

《親による子への体罰禁止を法律に明記することになったのは前進と言える。しかし虐待防止に不可欠な児童相談所の体制強化にはなお課題も多い。

 子どもの命を守るために何が必要か。国会で議論を深め、今後の取り組みに生かさねばならない》(3月20日朝日新聞社説)

 ただ議論さえすれば中身が深まるわけではない。このように言うのなら、どのような議論が必要かについてその一端なりとも示すべきである。が、変に力んで話が自分たちの思惑と違う方向に進んではたまらない。だから何か奥歯に物が挟まったような言い方をしているのではなかろうか。

 私は、戦後日本における社会の教育力の低下こそが最大の問題ではないかと考える。大家族から核家族への移行、さらに家族の多様化によって、家庭の教育力は低下した。それだけではない。家庭を覆う、地域共同体の絆が弱まり、他の家庭の子供に干渉することが難しくなってしまった。学校においても、教職がかつてのような「聖職」ではなくなり、教師の権威は失墜してしまった。

 そこで頼るべきは児童相談所ということになるわけだが、社会の教育力が低下したままでいくら児童相談所の体制が整備されても「焼け石に水」ということになりかねない。

《かぎとなるのは財政的な裏付けだ。制度改革が絵に描いた餅に終わらぬよう、いかに人や予算を手当てするか。虐待の悲劇を終わらせるため、あらゆる政策の優先順位を見直していかねばならない》(同)

 が、問題が起ってからどう対処するのかよりも、やはり社会の教育力をいかに高めるのかという予防法こそが問題解決の中心に据えられるべきではないだろうか。

《法改正の柱である体罰禁止については、厚生労働省が今後、何が体罰に当たるかなどのガイドラインを作る。民法が規定する親の子どもに対する懲戒権の扱いは、改正法の施行後2年をめどに検討するとされた。

 体罰禁止に罰則はない。しかし「しつけ」の名のもとに暴力を正当化することは許されないことが、社会の共通認識となれば、児相が家庭に関わりやすくなる》(同)

 体罰は禁止。が、何が体罰かは未定。そして体罰禁止には罰則なし。これで体罰がなくなると考える方が不思議だ。否、一切の体罰は躾には必要ないかのような話になってしまっているが、本当にそれで良いのだろうか。

《親に対する指導や援助にもあたる児相が、親との関係悪化を恐れて一時保護などをためらう傾向があると指摘されていることを受けて、「介入」と「支援」の機能を担う職員、部署を分けることを促す。弁護士による助言・指導が常時受けられる体制の整備も求める》(同)

 これまでは法律や社会の後ろ盾がなかったから児童相談所が機能しなかったというよりも、多分に職員の責任意識や自覚の不足ないしは欠如が大きかったのではないか。

 また、問題があったときの受け皿としてではなく、問題を未然に防ぐべく介入するかのような話になれば、それこそ「家族の権利」を侵害するような話になりかねない。【了】