保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

大阪都構想問題 ~公明も自民も腰砕け~

大阪市をなくして東京23区のような特別区に再編するのが、地域政党大阪維新の会」が掲げる都構想である。

 これまで反対だった公明党大阪府本部と自民党大阪府連が一転して、構想の是非を問う住民投票に協力する方針を示した》(514日付産經新聞主張)

 公明党は国政選挙での維新の脅しに負け、自民党憲法改正における維新の選挙協力を期待してのことだと思われるが、この変節振りは、政治は力とはいえ、何とも情けない限りである。

《真に住民のための議論をこそなすべきである。そのことをまず強く求めたい》(同)

 が、今更何を議論するというのか。議論してもおそらくは堂々巡りとなるだけである。

 ここまでくれば、都構想をやってみるしかないのだろう。勿論、私はこのような「側(がわ)」だけの改革だけでは本質的な問題は解決されず、したがって、大阪都を創ってみたものの、失ったものははっきりしていても、得たものははっきりしないといったことになるのではないかと思っている。

 行政制度のような「側」ではなく、大阪に住む人々を変えなければ大阪は本質的に変わらないというのが私の主張である。が、恐怖政治を敷くのでなければ時間が掛かる。私は、迂遠(うえん)のように思われるだろうが、「教育」を変えることが最重要だと思っている。

 より具体的に言えば、「平等思想」を排除することである。キルケゴールは言う。

《見よ、水平化の鋭い鎌が、すべての人々を、ひとりひとり別々に、刃(やいば)にかけて殺してゆく》(「現代の批判」:『世界の名著40』(中央公論社)、p. 423

 水平化され凡庸と化した社会、それが大阪なのである。

《水平化・平等化された近代社会においては、傑出した人間は軽視され、疎まれ、引き摺(ず)り降ろされる。そこに働くのは嫉妬の原理だ。そして個人が完全に等価になった結果、価値判断の道具として多数決が導入される。そこでは頭数を揃(そろ)えることだけが求められる》(適菜収「賢者に学ぶ」:2013824日付産經新聞18面)

 大阪都構想実現のためには指導者が必要である。そのとき、橋下徹氏に白羽の矢が立つであろうことは想像に難くない。

 都構想を成功させるには橋下独裁を認めるしかない、といった論理に陥ることは避けられまい。

 が、1つだけ例を挙げれば、橋下教育改革は失敗であった。百マス計算で全国に名を馳せた陰山英男氏と最後は仲違えさえしてしまった。

 平成30年春に行われた全国学力テストで大阪府は、小学生が47都道府県中44位(去年46位)中学生が40位(去年44位)であった。またこれは政令市で大阪市2年連続最下位というものであった。

 やはり「言うは易し、行うは難し」なのである。