一燈照隅(池内の日記)

~天邪鬼(あまのじゃく)の独り言~

大阪ダブル選について(2) ~唯我独尊の大阪維新の会~

大阪都構想が実現すれば、全てとは言わなくとも粗方(あらかた)の問題が解決するかのような、そんな「うまい話」があるはずがないと考えるのが常識人である。勿論、大阪維新の会が言うように上手く行くかもしれないし行かないかもしれない。正直なところ、やってみなければ分からない。が、そんな「博打(ばくち)」に安易にのるわけにはいかないと考えるのもまた常識人というものであろう。

《首長選は単一の課題を争点とする住民投票と違い、福祉や経済など幅広いテーマを議論する場である。たとえ両氏が当選しても、有権者が都構想について白紙委任したことにはならないだろう》(3月9日付北海道新聞社説)

 私も同意見である。さらに、私が言い続けていることは、行政の仕組みだけを変えても、中に住んでいる人間そのものが変わらなければ大阪が再生することは有り得ないだろうということである。側(がわ)だけの議論からはそろそろ卒業すべきである。

《都構想は、橋下徹氏が大阪市長だった15年の住民投票で否決されたが、松井、吉村両氏の当選を経て維新は再び動き出した。2度目の住民投票に諮るなら、効果とコストを十分に検証し、説得力のある理由を示すことが不可欠だろう》(3月9日付朝日新聞社説)

 否決されてから、何が変わったというのか。環境に何ら変化もなく再度有権者の賛否を問うというのは、有権者の判断は移ろいやすいから、今度は都構想賛成が反対を上回るかもしれないということを期待してのことであろう。が、反(そ)りの合わぬ議会を袖にして、根無し草のような有権者の判断だけを頼りに、都構想なる大改革に突き進もうとするのはあまりにも無茶無謀である。

大阪府と市の連携で、府立大と市立大の法人統合や研究所の統合など、二重行政の解消は進んでいる。都構想への理解を深めたいのであれば、こうした地道な取り組みを続けるべきではないか》(3月9日付読売新聞社説)

 正論である。が、大阪維新にとっては、それがジレンマでもある。府知事と市長が共に大阪維新の会の人間であれば、「府市合わせ」によって「不幸せ」にはならない。したがって、「二重行政」をなくそうと、大阪市を廃止して大阪都を創る必要もない。つまり、府知事と市長が頑張れば頑張るほど大阪都構想は遠退(とおの)いてしまうという構造にある。

《維新側には、2025年大阪・関西万博の誘致決定を追い風にダブル選を統一地方選にぶつけ、議会での議席増を狙う思惑があるのかもしれない。そうだとすれば党利党略でしかない。あるいは、選挙をちらつかせて公明の妥協を引き出す狙いが維新にあったのかもしれないが、これでは住民軽視といわれても仕方あるまい》(3月9日付産經新聞主張)

 こう言われても仕方のないような辞任劇ではあった。

《構想の制度設計を行う法定協議会は、やじと怒号が飛び交う場と化した…法定協におけるののしり合いはあっても、都構想がなぜ必要かといった議論はほとんど聞こえてこなかった。これでは有権者の関心も高まりようがない。そんな状態で痴話げんかのような選挙に巻き込まれるのなら、いい迷惑である》(同)【了】