保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

オークショットと大阪都構想(2) ~得られる可能性と失う確実性~

第41回サントリー学芸賞に選ばれた、善教将大・関西学院大准教授の「維新支持の分析」によると、

《維新の台頭と躍進は、橋下氏の政治手法などからポピュリズム大衆迎合主義)と結び付けて語られがちだが、決してそうではないという。

 個別利益の代表者としてしか振る舞わない既存政党と比べ、維新は「大阪」の利益の代表者として有権者の目に映った。

 住民投票での反対は、今後の見通しが立ちにくい状況が、賛成を「踏みとどまらせた」。つまり有権者が慎重に判断した結果だと分析する》(2月25日付京都新聞社説)

 大阪の人たちはただ、衰退する大阪を変えてくれそうな「維新」を支持しただけではないか。<個別利益の代表者>だの<「大阪」の利益の代表者>といった玄人好みの話ではないように思う。

 <今後の見通しが立ちにくい状況が、賛成を「踏みとどまらせた」>というのも理屈を捏(こ)ねすぎである。もっと素朴に、自分たちが生まれ育った大阪市をなくすということに踏ん切りが付かなかったということなのではないか。

《変革とは常に、端的な評価が下しにくい企てなのである。つまりそこでは、利益と(慣れ親しんだものを失うということを除外しても、なお残る)損失とが非常に緊密に織り合わされており、そのため、最終的な成果を予想することは極めて困難である。但し書きなしの進歩などというものは、存在しないのである。なぜなら、変革という活動は、追求されている「進歩」なるものばかりでなく、新たに複合的状況をも生み出すのであり、「進歩」なるものはその構成要素の一つにすぎないからである。

変化の総体は意図された変化よりも常に広範なものであり、帰結として生ずる事柄をすべて予測することも、その範囲を画定することも不可能である。そういうわけで、変革が行われる場合はいつも、意図されたものよりも大きな変化が生まれてくることは確実であるし、利益とともに損失も生じ、影響を受ける人々の問で、その損失と利益とが平等に分配されはしないであろうということも、また確実である。そして、得られる利益が意図されたものを上回る可能性もあるが、悪化した分によってそれが帳消しにされてしまう危険もある》(マイケル・オークショット「保守的であるということ」:『政治における合理主義』(勁草書房)、p. 203)

 いくら「維新」が説明してもそれは「捕らぬ狸の皮算用」でしかない。それよりも「都構想」が実施されれば「愛着」ある大阪市が無くなることは確実であり、住民はそのことに二の足を踏んだということなのではなかったか。【続】