《松井一郎大阪府知事(大阪維新の会代表)と吉村洋文大阪市長(同政調会長)が辞職願をそれぞれ府市両議会議長に提出した。
4月の統一地方選で知事選と市長選のダブル選を行い、松井氏は市長選、吉村氏が知事選に入れ替わって立候補する》(3月9日付北海道新聞社説)
「大阪都構想」が立ち行かなくなり、再び有権者の力を借りようと、「いざ!」とばかりに「勝負手」を打ったわけである。
《単純な出直し選挙の場合、当選しても半年後に任期満了に伴う選挙を行う必要があるが、入れ替わって新しいポストに就けば4年間の任期を得られる。
短期間に2度の選挙を行わずに済み、多額の経費がかかるとの批判をかわせると判断したようだ。
しかし、広域行政を担う府と、住民の暮らしに近いサービスを提供する市の役割は異なる。任期を確保するために、その役割を無視して役職を交換するのは、ご都合主義でしかない》(同)
入れ替え立候補などという「下品」な手法は、大阪維新の会好みなのかもしれないが、御両人には自分が与えられた条件と範囲において最善を尽くそうという意欲も、そして自分がやっている職務にたいする矜持もないということを図(はか)らずも露呈してしまった。
《政治的な思惑だけで、任期途中に、経験のない互いのポストを交換する手法は、自らの職責を軽んじているばかりか、住民を置き去りにした奇策と言うほかない》(同)
「大阪都構想の実現なくして大阪の再生はない」という思い込みの下、形振(なりふ)り構わぬその姿は、やはり首長としての品格を欠くと言わざるを得ない。
《首長と議会が対立し、選挙で住民に信を問うことはあり得る。
だからといって、政策が行き詰まるたびに選挙を繰り返すのでは、選挙を乱用していると批判されても仕方あるまい》(同)
直接民主制に傾く人はこう言うのであろう。が、例えば、大阪市を無くし、府と市を一元化すべきかどうかを住民に問うても仕方ない。こういった非常に高度な政治判断をずぶの素人の多数決に委ねてどうなるのか。詰まるところ、都構想を信じるか信じないかといった低次元の話になりかねない。
要は、第二次世界大戦においてドイツが陥った「民主主義の罠」がまったく理解されていないということだ。大衆の熱狂を元にして政治を行えば、確かに民主主義的ではあるが、それでは政治が暴走しても止められない。
事の是非が無視され、ただ大衆の支持を頼りに、有無を言わさぬ独裁的な政治が行われることだけは避けなければならないのである。【続】