保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

オークショットと大阪都構想(1) ~愛着心~

地域政党大阪維新の会が推進する「大阪都構想」。その賛否を問う2度目の住民投票が11月にも実施される見通しだ》(2月25日付京都新聞社説)

 大阪維新の会(以下、「維新」)ある限り、その大看板たる「大阪都構想」(以下、「都構想」)を取り下げることはないであろう。が、このように「都構想」が蒸し返されるのには、それ以外の大阪を活性化させる代替案が示されてこなかったという問題もある。

 大阪の地盤沈下の原因がどこにあるのかを見極めることもなく、枠組みを一新すれば大阪が復活するなどという軽率かつ乱暴な「維新」の考え方に私は与(くみ)しない。

 一方、おそらく既得権益を守るためなのであろうが、代替案も示さずただ「都構想」に反対するという反対派のやり方にも反対である。

 「都構想」とは、大阪府と市の二重行政の無駄をなくすため、大阪市を廃止して特別区に再編しようとするものである。が、かつて資金が潤沢であった頃と違って、今の大阪は二重行政で無駄遣い出来る財政状況にはない。にもかかわらず、「都構想」で二重行政を解消しようとするのは、やはり的外れである。

 翻(ひるがえ)って、反対派は、相も変わらず

《住民サービスは低下しないのか。移行に伴うコストに見合う効果があるのか。根本的な疑問は残ったままだ》(同)

などとやってみなければ分からないことに答えを要求し反対の材料としようとする。

 が、問題はそのようなところにあるのではない。

《彼がそれらの変化をなかなか受け容れられない理由は、彼がそこで失ったものが、他のいかなる可能性よりもそれ自体として良いとか改良の余地のない最高のものであったとかいうことではなく、またそれに取って代わろうとするものが、本来そこに楽しみを見出すことの不可能なものであるということでもない。

本当の理由は、彼の失ったものが、彼が実際そこに楽しみを見出し、その楽しみ方を身につけていたものであるということであり、そしてまた、それに取って代わろうとするものが、彼が何の愛着も覚えたことのないものであるということなのである。

従って彼は、急速で大きな変化よりも緩やかで小さな変化の方が耐えやすいと思うであろうし、継続性の現れはいかなるものでも高く評価するであろう。確かに、何の困難ももたらさないような変化もないわけではないだろうが、ここでもその理由は、それが進歩であることが明白だからというのではなく、単にそれが適応の容易なものだからなのである》(マイケル・オークショット「保守的であるということ」:『政治における合理主義』(勁草書房)、p. 201)

「都構想」がうまくいかないのは、大阪市に<愛着>を持つ人たちが大阪市を廃止することをよく思わないからではないか。【続】