保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

大津いじめ自殺判決について(1) ~過てる処方箋~

大津市立中の男子生徒が11年に自殺した事件で、大津地裁はいじめが原因と認め、加害側の元同級生2人に計3700万円の賠償を命じた。市はすでに責任を認め、亡くなった生徒の両親と和解している》(2月22日付朝日新聞社説)

 が、私が疑問に思うのは、一人の生徒を自殺に追い込むまでのいじめが繰り返される場にどうして家庭は通わせ続けたのか、また学校もどうして受け入れ続けたのかということである。

《「人が集まればいじめは起きる」という前提に立った方がいい。「根絶」を唱えるのではなく、いじめ被害が深刻な悲劇にまで発展しないように「被害を隠されない仕組み」や「いじめからの逃避を認める社会」づくりへの知恵を絞りたい》(2月20日東京新聞社説)

 いじめが繰り返されるのなら、学校に行かなくてもよい、あるいは転校するといった選択肢を普通に持つことが重要だと思う。が、このことを指摘しているのは東京社説だけである。逆に、

《いじめで人を死に追いやったり傷つけたりすれば、子どもでも厳しく責任を問われうる。社会にそのことを認識させる判決だ》(同、朝日)

《常軌を逸したいじめを繰り返し、被害者が自殺に至れば、加害者は中学生でも賠償責任を問われうる。いじめが絶えないなかで、判決を警鐘と受け止めねばなるまい》(2月22日付読売新聞社説)

といった加害生徒の厳罰化は、「いじめ自殺」抑止にどれだけ効果があるのか甚(はなは)だ疑問である。

《教職員らの情報共有を徹底し、学校が組織として対処する。自殺や長期の不登校などの「重大事態」が起きたら、すみやかに調査に着手し、事実関係を解明する――。どちらも大津の事件の教訓そのものだ》(同、朝日)

 先ほどの東京社説ではないが、人が集まれば軋轢(あつれき)が生じるのは仕方がない。いじめの芽を摘もうとすれば、何人教職員がいても足りないということになりかねないし、おそらく授業どころではなくなってしまうであろう。

 教師は学習指導の専門家ではあっても「いじめ」を調査し事実関係を解明する専門家ではない。謂(い)わば素人にこのような圧を掛けても意味がない。本気で事実関係を解明しようとするなら、それなりの専門家を派遣することが必要である。

《深刻なのは、防止法の内容が依然、周知徹底されていないことだ。条文は、重大事態の際はいじめの「疑い」の段階で調査を始めるよう明記している。なのに「確証がないから」と動かず、保護者らに不信感をもたれるケースが相次ぐ》(同)

 このように生徒へ「疑いの眼差し」を向けよと煽ってどうなるのか。このような教師と生徒の信頼関係で「教育指導」は成り立つのであろうか。「お前らならやりかねない」といじめ行為の尻尾を捕まえようと血眼(ちまなこ)になっている教師と、生徒は距離を置きたがるに違いない。【続】