保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

PISA:読解力低下について(4) ~文科省よ、大人しくしていてくれ~

文部科学省は今後、小中高校の国語の授業などで、文章の論理展開を重視した指導を充実させる方針だという。論理的思考力の涵養(かんよう)に加え、文学に親しむ時間もしっかりと確保して、他者への共感性や想像力を培いたい》(12月4日読売新聞社説)

などというのが戦後思潮の最たるものである。<文章の論理展開を重視した指導>とは何か。これまでも「論説文」や「説明文」を授業で扱ってきたが、それとは何が異なるのか。また、<他者への共感性や想像力>を培うのが文学だと思っているところもお目出度(めでた)過ぎる。

文科省は、実用的な文章を読み、論理的に書く力を養う科目「論理国語」を高校教育に新設する。会員制交流サイト(SNS)では、おしゃべり感覚の短文のやりとりに終始しがちな生徒の現状を考えれば、論理性を磨く効用はあるかもしれない。

 半面、文学作品に接する機会が減りかねないとの懸念もある。図らずも今回の調査で、小説や物語、ノンフィクション、新聞といった活字文化に幅広く親しむ生徒は読解力の得点が高いことが示された。

 調査の検証から、何を読み取り、的確な課題を見いだせるか。今度は、文科省の読解力が問われている》(12月17日付中國新聞社説)

 我々はもうそろそろ気付いてもいいのではないか。教育をおかしくしているのは文部科学省であるということに。文科省が教育を弄繰(いじく)り回すから教育現場が振り回され、結果として成績が下降してしまっている。

 勿論、文科省だけに責任を押し付けても意味はないが、少なくとも偉そうにしゃしゃり出ず、もう少し大人しくしておいてもらう必要があるだろう。

 これは本来政治の問題である。政治が教育の方向性を見定めないからこのようなことになってしまっているのだと思われる。

 明治以降日本は西欧に追い付け追い越せとやってきた。1980年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称されるまでとなって世界のトップ入りを果たして以降、新たな目標設定に失敗してしまっているのが現在である。

 これから日本はいかにあるべきか、そのことなくして教育内容を定めることは出来ない。

 教育に指針がないから経済界の声にもろ影響されるようなことになってしまっているのである。その象徴が「大学英語入試改革」である。グローバル市場に参入したい楽天ユニクロといった企業が求める人材に英会話力が必要だということで大学入試にスピーキングテストを導入し、小中高の英語教育を変えてしまおうなどという荒っぽい改革、否、「改悪」が行われようとしたのであった。

 教育の混乱は今の日本の政治の不毛さが生んだと言っても過言ではあるまい。【続】