保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

大学入試改革断念について(3) ~要らぬことをする文科省は要らぬ~

有識者会議は、今後の共通テストの主な機能を「高校の基礎的な学習の達成の程度の評価」と位置づけた。国語や数学の記述問題が問うような思考力は、共通テストで十分に評価できない。そうした分野を各大学の個別試験で拡充することが望ましいと提言した》(6月29日付日本経済新聞社説)

 この意味は、1次試験は全国一斉のマークシート型試験、2次試験は各大学の記述型試験の従来型の入試でよかったということである。入試改革先にありきで特段不満があったわけではない入試体制を弄(いじ)繰り回しただけであったということである。

 入試は元の形に戻せばよいということなのかもしれないが、教育現場は新たな入試に向けて動いてきたのであって、簡単な話ではない。スピーキングが入試から外された以上、英語の指導は従来型の指導に戻さざるを得ない。

 が、細かな文法的な誤りは気にせずとにかく英語を口にしようとしてきた指導を、一朝一夕に細かな文法的な誤りこそが問われる形に戻せるはずがない。否、そもそも教師自身がこの大きな振り幅に堪えられるわけがないのである。おそらく現役の教師が入れ替わるまで混乱は続くに違いない。

《一連の大学入試改革の発端は安倍晋三政権が設けた教育再生実行会議による2013年の提言だ。

 トップダウンによる改革の実績づくりが先行し、高校や大学など現場の実態や教員らの意見は軽視された。その結果、主人公である受験生が振り回された。

 政策決定までのプロセスや制度設計のどこに問題があったのか。文科省は真摯(しんし)に検証し、共通テストと個別試験の役割分担を含め根本を練り直すべきだ》(6月27日付北海道新聞社説)

 現場を省みない一方的な上意下達という手法も問題だったろう。政策決定までの過程や制度設計にも問題があっただろう。が、最大の問題は、むしろ上手く行っていたと思われる入試を企業の論理だけで変えようとしたことにあると言うべきだ。こんな理の無い改革が上手く行くわけがないのである。

 北海道社説子は文科省に事後処理を求める。が、今回の失策の最大の責任は文科省にあるのであって、事後処理に文科省が出てくれば、何が問題であったのかが有耶無耶にされてしまうだけである。

 敢えて言えば、日本の教育改革に必要なのは文科省解体である。「ゆとり教育」の失敗も有耶無耶にしてきた文科省に自浄能力があるとは思われない。

《今年の共通テストで民間検定と記述式導入が見送られたことで、大学入試センターは実務を担う予定だった事業者らの損失補償などで計5億8900万円を支払っている。

 文科省が招いた不手際を受験生の検定料が主な収入源のセンターが補償することは適切なのか。センターは「値上げなどの影響が直ちに出るわけでない」とするが、精査を求めたい》(7月3日付南日本新聞社説)

 大学入試改革事業に入り込んできた<実務を担う予定だった事業者ら>にも責任の一端はあると思われるのであるが、失敗しても損をしないようになっているところがうまいと言うか、釈然としないところである。【了】