保守論客の独り言

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英語民間試験導入延期について(3) ~英語4技能幻想~

文部科学省は民間試験への理解を求めて、各地で説明会を開きましたが、教育現場からは試験を懸念する声が相次いでいました。

10月30日、岡山県で開かれた説明会には100人を超える高校教員が集まり、文部科学省の担当者が日本の高校生は英語を話す力や書く力に課題があるなど、民間試験を導入する理由を述べました》(NHK NEWS WEB 2019年11月1日 14時44分)

 成程、英語を話すことが不得意な生徒が多いのは事実であろうと思われる。が、それは文法訳読方式の授業を行っているからではない。少なくともここ20年は英語の指導はコミュニケーション重視となっている。それでも話せないのは英語を日常的に使うことがない環境の問題と、日本語と英語の言語的距離の問題がある。

 英語のスピーキング力を高めようとしても、それは時間と労力が取られる割に得るものが少ないということである。否、得たとしても観光旅行ぐらいしか使う場もない。「何のため」が抜け落ちて、ただスピーキング力を高めようとするのは愚かである。

 英語を話す力に課題があるとして、だから民間試験では問題解決にならない。ただ民間試験を行えば、生徒の英語を話す力が改善されるわけではない。ここには大きな溝がある。

 確かに、民間試験が行われるようになれば、これに対応するために高校での指導内容が変わるだろう。が、高校での指導内容が変われば生徒の英語を話す力が向上する保証はどこにもない。週4,5時間の英語の授業でスピーキングに力を入れて指導したとしてもそれだけで英語が話せるなどというのは夢物語であろう。出来ない課題を押し付けて混乱させるだけである。

 阿部公彦・東京大教授は言う。

《中高での英語の時間数は限られている。これから劇的に増えるということはありえません。そうなると、いわゆるスピーキングの時間を増やすためには、ライティングやリーディング、リスニングの時間を減らさざるをえない。つまり、4技能どころか、他の技能を犠牲にしてスピーキング中心主義を導入するというのがネオ4技能看板の正体なのです。

 せいぜい週に4~5時間の英語の授業でさらにスピーキングに特化した時間を増やし、かつ文法や訳読はするな、授業は英語でやれ、などということになったらどうでしょう。実質には1技能、いやそれ以下になるだけです。これまでかろうじて身についていたなけなしの「英語力」もついに剥がれ落ちる。文法や読解の力が落ちれば、結果的には「しゃべる能力」と彼らが呼ぶ部分も落ちていくでしょう。(『史上最悪の英語政策―ウソだらけの「4技能」看板』(ひつじ書房)、pp. 49-50)【続】