保守論客の独り言

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学習遅れ「複数年で解消」について ~現場感覚を尊重すべきだ~

新型コロナウイルスの影響による休校の長期化で学習の遅れが深刻になっていることを受け、萩生田光一文部科学相は15日の記者会見で、予定していた学習内容を年度内に終えられない場合、「特例的に最終学年以外は、複数年度の教育課程の編成を認める」と述べた》(産経ニュース 2020.5.15 10:31)

 私は、学習の遅れを複数年で解消するカリキュラムを組むことには反対である。簡単に言えば、「ややこしい」からである。

 年度を跨(また)げば、担当教諭も変わるし、クラス替えもある。単純に、2学年分を2年でやればよいということにはならないということである。

 勿論、萩生田文科相は<複数年度の教育課程の編成を認める>と言っているだけなので、各教育委員会が柔軟に対応すればよいのだけれども、例えば、仮に6月から学校を再開できるとすれば、2か月分の遅れは、夏休み、冬休みを柔軟に活用する範囲で取り戻す程度に留め、今年度は例外的に必要出席日数を減らし、授業カリキュラム内容を減じた形で対応すべきであろう。

 少し授業内容に踏み込めば、「アクティブラーニング」を封印することで十分対応が可能であろうと思われる。

 「アクティブラーニング」とは、「主体的で深い学び」を目標に、「ペアワーク」、「グループワーク」、「プレゼンテーション」など生徒の主体的活動を積極的に授業に組み込もうとするものである。が、これらの活動は、見た目は派手でいかにも「やってる感」はあるが、時間が非常に掛かる。そのため、知識伝達に使える時間が削られてしまうという難点があった。

 が、当面は新型コロナの影響で生徒が密接して「ペアワーク」、「グループワーク」を行うことは出来ないであろうから、少なくとも今年度は「アクティブラーニング」を断念して、必要最低限の知識伝達に力を入れるべきであろうと思われる。

《萩生田氏は年度内に指導を終えるよう、最大限の努力をしてもらうのが原則と強調。一方で「夏休みをなくすなどして、授業を詰め込むのではなく、さまざまな行事を含め、幅広に子どもたちの教育を考えるのが大事だ」とも語った》(同)

 夏休みや冬休みをどのように運用するのかについてはもっと現場の判断に任せてよいのではないか。これは駄目だとか、あれが望ましいとか現場と離れたところで空想を逞(たくま)しくするよりも、実際に授業を行う人達の皮膚感覚こそが尊重されるべきではないだろうか。全国一律でああせよ、こうせよと言えるようなものではないのだから。