保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

オークショットと大阪都構想(3) ~人が活躍できる「場」の必要~

大阪には物質的にはたくさんのものが「有(あ)る」。大阪が衰退していったのはそれらを有効に活用しなかったからである。「都構想」とは、この今有るものを有効活用しようとするのではなく、今有る「無駄」を省(はぶ)こうとするものである。

 が、古来「無用の用」と言われるように、一見「無駄」に思われるものであっても立派に用を足していることが少なくない。「無駄」を省けば効率が増すというのは短慮浅薄の誹(そし)りを免れない。

《保守的な気質の人はいくつかの適切な結論を導く。

第1に、変革による利益と損失は、後者が確実に生ずるものであるのに対し、前者はその可能性があるにすぎない、従って、提案されている変化が全体として有益なものと期待してよい、ということを示す挙証責任は、変革を唱えようとする者の側にある。

第2に、変革が自然な成長に一層似ていればいるだけ、(即ち単にそれが状況に対して押し付けられたというのではなく、そのもっと明確な兆しが状況の中にあればあるほど)、損失の方が利益を上回る結果となる可能性は低くなる、と彼は思う。

第3に、何らかの特定の欠陥への対応としての変革の方が、つまり、何らかの特定の不均衡を是正するための変革の方が、人間の環境の状態を一般的に改善するという観念から生まれた変革よりも、望ましく、またそれは、一つの完璧な未来像から生まれた変革より.はずっと望ましい、と彼は考える。その結果、彼は、大規模で無限定な変革よりも小規模で限定的なものの方を、好ましく思う。

第4に、彼は、変化の速度は急速なものよりも緩やかなものの方が良い、とする。そして彼は、目下のところ何が帰結として生じているのかを、立ち止まって観察し、適切に順応していく。最後に彼は、変革の行われる時機が重要だと考える。彼が変革にとって最も都合が良いと考える時機は、計画されている変化が意図された範囲に限って実現される可能性が最も高く、望んでいない制御不可能な帰結によってそれが汚染される可能性が最も低い、という時である》(マイケル・オークショット「保守的であるということ」:『政治における合理主義』(勁草書房)、pp. 203-204)

 逆に大阪に「無い」ものは精神的なもの、「気概」である。大阪を繁栄、発展させようという人々の「心意気」と言ってもよいだろう。

 おそらく大阪から企業や人材が流出しているのは「活躍の場」がないからであろう。勿論、「場」自体はなくはない。が、それは公正さを欠く。少なくとも大阪を離れる人たちの目にはそう映っているのではないか。

 公正さを欠くのは「平等」の過剰によるものであろうと思われる。成程「平等」は人に優しい。福祉も充実している。が、それが過剰となり「競合」することまで抑え込まれてしまってはやる気のある人間にとっては息苦しいだけであろう。

 言うまでもなく大阪を立て直すのは「人」である。「人」が活躍できる「場」を作ることが最優先なのではないか。【了】