保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

安倍失言:大阪城のエレベーター設置は「大きなミス」について

《大阪で開かれた主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の28日の夕食会で、議長を務める安倍晋三首相が、大阪城にエレベーターを付けたのを「大きなミス」と発言したことに、波紋が広がっている。来年の東京五輪パラリンピックを控える中で、バリアフリーの意識の欠如を憂慮する声が出ている。

 「明治維新の混乱で大阪城の大半は焼失したが、天守閣は今から約90年前に16世紀のものが忠実に復元されました」。安倍首相は夕食会のあいさつの冒頭、会場近くの大阪城の歴史に触れ、こう続けた。「しかし一つだけ、大きなミスを犯してしまいました。エレベーターまでつけてしまいました」

 発言の意図は不明だが、SNSでは発言への疑問の声が相次いだ》(朝日新聞デジタル2019年6月29日19時40分)

 大阪城のような歴史的遺産を史的価値を毀損(きそん)してまでバリアフリーにしなければならないと私は必ずしも思わないのだけれども、安倍首相の発言が時所位に適(かな)ったものかどうかと言うと確かに疑問符が付くところであり、まさに<発言の意図は不明だ>としか言い様がないだろう。

 G20サミットの夕食会ということを考えれば、もっと和やかな話題を提供するのが普通一般であろうはずなのに、どうしてバリアフリーの過剰を批判するといったややこしい話を持ち出すのかが分からない。

 ちょうど大阪城という歴史的遺産に立ち寄ってもらったところなのでこの話題を持ち出すことが時宜(じぎ)にかなったものだと安倍首相が思ったのであろうけれども、バリアフリー化を目指すのは世界的潮流なのであって、これに疑義を唱えて場の雰囲気を悪くする必要が果たしてあったのかどうか、少し古い言い方をすれば「KY」(空気が読めない)と言わざるを得ないのである。

《障がいがある人や高齢者への配慮に欠く発言で、作家の乙武洋匡氏はツイッターで「とっても悲しい気持ちになる」と指摘》(日刊スポーツ7/1(月) 8:38配信)

した。が、「ナポリを見てから死ね」と同様に、大阪城天守閣は誰もが一度は上ってみなければならないようなところなのかと言えば、とてもそのようなものではないと思われるのであって、いちいちこのような失言に絡む必要はないのではないかと私などは思ってしまう。

立憲民主党枝野幸男代表は30日、党の決起集会や街頭演説でこの問題に言及。「ミスだというセンスと感覚は、まったく理解できない」とした上で「今のご時世で、バリアフリーは当たり前。体が不自由な人たちにちゃんと目を向けていない表れだ」と批判。「困っている人の立場で社会を組み立てることで、みんなが幸せになる。多様性、違いを力にする社会にしなければ」と、訴えた》(同)

 が、私は問いたい。どうして大阪城バリアフリーでなければならないのかと。大阪城に上れなければ困る人って誰なのだ。日常生活で困っている人を助けることならば大いに歓迎されるべきであるが、大阪城に上るといった非日常的な、すなわち困っていない人にまで配慮するのは私は行き過ぎであろうと思うのである。

 大阪城バリアフリーになれば<みんなが幸せになる>などという話は意味不明の「妄想」である。