保守論客の独り言

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「非韓三原則」について(1) ~「ルールに基づく自由貿易の推進」の愚~

《長年、朝鮮半島の歴史や政治を研究してきた筑波大名誉教授の古田博司氏は、かねて「非韓三原則」を唱えてきた。韓国に対しては「助けない、教えない、関わらない」ことが肝要であると》(76日付産經新聞産經抄」)

 明治期以降の朝鮮の態度を見るとまさにそう思わざるを得ない。やはり関わらないのが一番である。

外交問題とは全く関係のない貿易手続きを持ち出して、政治の道具にする。日本が重視してきた自由貿易の原則をゆがめるものだ。

 政府が韓国に対し、半導体生産に不可欠な材料の輸出規制に踏み切った。元徴用工への賠償を日本企業に命じた韓国最高裁判決を巡り、韓国から満足のいく対策が示されなかったとして事実上の対抗措置に出た。

 スマートフォンやテレビに使われる半導体は韓国の主力産業だ。生産が低迷すると景気に打撃となる。

 元徴用工への賠償は、韓国も日韓請求権協定を踏まえ解決済みとしてきた。韓国は日本が提案した仲裁委員の任命に応じず、日韓の企業が慰謝料を拠出する案を示した。日本が受け入れられないのは当然だが、だからといって強引な手法に訴えていいわけではない。

 最大の問題は、日本が主張してきた「ルールに基づく自由貿易の推進」という理念に反することだ》(74日付毎日新聞社説)

 ルールに基づかず、ゴールポストを平気で移動させ続けるような国とでも<ルールに基づく自由貿易の推進>を目指さねばならないのだろうか。否、そんなことよりも<ルールに基づく自由貿易の推進>自体が私には疑問である。

 実態として、国際的なルールの確立は未だ道半ばの状態にある。おそらくはその確立には気が遠くなるほどの道のりがあるに違いない。

 しかしながら、慣行慣例が一定あるのもまた事実である。例えば、WTO世界貿易機関)はその象徴なのであるが、必ずしもWTOが世界各国から独立した公平公正な組織であるとは言えないのであって、どうしても自国が少しでも有利な立場となるような駆け引きは避けられない。

 ルールが確立していない中で、<ルールに基づく自由貿易の推進>を行えば、ルールを弄(もてあそ)ぶ大国の恣意(しい)に振り回されることになる。昨今の米中貿易戦争も然(しか)りである。

 日本の立場は、ルールに基づくというよりも、米国に基づくと言った方がよいだろう。米国の思惑に基づいた<自由貿易>を行ってきたということである。もし仮にルールなるものがしかとあるのなら日本はこれに基づいて米中双方に異議を唱えなければならない。が、ここにあるのは客観的ルールなどではなく「大国のエゴ」である。だから日本は尻の青い原則論をか弱い声で唱えることしか出来ずにいるのである。【続】