保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

大阪市廃止住民投票について(3) ~漸進主義~

俳人松尾芭蕉の有名な言葉に「不易(ふえき)流行」がある。本質的なものを大切にしつつ新陳代謝を欠かさない。私はここに保守政治の本質があると思っている。その要諦(ようたい)は「漸進(ぜんしん)主義」にある。

 漸進主義は、急進的社会変革を嫌う。一方で現状追認主義の立場もとらない。現状をただ墨守(ぼくしゅ)し続ければ、結局は大きな変革を呼び込んでしまうからである。時代に置いて行かれないように、徐々に変え続けること。それが漸進主義である。

By a slow but well-sustained progress, the effect of each step is watched; the good or ill success of the first gives light to us in the second; and so, from light to light, we are conducted with safety through the whole series. We see that the parts of the system do not clash.

The evils latent in the most promising contrivances are provided for as they arise. One advantage is as little as possible sacrificed to another. We compensate, we reconcile, we balance. We are enabled to unite into a consistent whole the various anomalies and contending principles that are found in the minds and affairs of men. From hence arises, not an excellence in simplicity, but one far superior, an excellence in composition.

Where the great interests of mankind are concerned through a long-succession of generations, that succession ought to be admitted into some share in the councils which are so deeply to affect them. If justice requires this, the work itself requires the aid of more minds than one age can furnish. –Edmund Burke, Reflections on the Revolution in France: Part II

(ゆっくりではあるがしっかり支えながら進むことで、一歩一歩の結果が観察される。初めの一歩の出来不出来が次なる一歩において我々に光を与えてくれる。そうして光から光へと全過程を通して安全に導かれる。体系の部分部分が衝突しないのが分かる。

最も有望な考案にさえ潜在する弊害は、表面化すると共に備えられる。1つの利点が別の利点の犠牲となることは能(あとう)限りない。補正し、調和し、平衡は保たれる。人間の精神や仕事に見られる様々な不調和や対立する原則を首尾一貫した全体と成すことができる。ここから単純の優秀ではなく、遥かに優れたもの、複合の優秀が生まれる。

人類の大きな利害が幾世代も長く継続して関わる場合、とても深くその利害に影響するだろう協議において、その継続に幾ばくかの役割を認めるべきである。正義にはこのことが必要であるなら、その仕事自体一時代が与え得る以上の知性の援助が必要となる)

 私は、維新の急進的改革に反対だが、同時に維新以外の旧套(きゅうとう)墨守にも賛成できない。急進的改革か現状維持による衰退かの二者択一になっているのが大阪の悲劇なのである。

 ただ否定的に「無駄の元凶」としか見ないのではなく、今、しかと存在する大阪市を「いかに活かすか」という考え方の方がよほど建設的だろう。大阪市を無理矢理無くして大阪府が肩代わりするよりも、大阪市がやれることは大阪市に任せ、二重行政とならぬよう、むしろ大阪府が手を引けばよいだけではないか。大阪府は府全体のことを考えるべきであるし、まして大阪を副首都としたいのなら大阪市廃止の後始末に手を取られてはいられないはずである。

 私は大阪を変えるためには、時間はかかるだろうが、「教育」を変えるしかないのではないかと思っている。今回は詳細な議論は省略するが、問題は「平等主義」にあると私は考える。

 「平等」を重んじるがあまり「自由」が損なわれている。大阪から企業が脱出しようとするのも根本的にはここに行き着くように思う。

《平等は、実際、2つの傾向を産み出す。1つは人々を直接独立に向かわせ、一挙に無政府状態にまで押しやり、他はより長く、より目立たないが、より確実な道を通って、人々を隷従に導く。

 諸国民は第一の傾向には容易に気づき、抵抗するのもたやすい。もう1つの傾向には気づかぬうちに引きずられる》(トクヴィルアメリカのデモクラシー 第2巻(下)』(岩波文庫)松本礼二訳、pp. 212-213)

 しばしば生活保護受給世帯の多さが問題となるが、「自助」の精神を失い、「公」(おおやけ)に依存しようとする人間が多ければ、地域が衰退するのも無理はない。

 自由の側に軸足を移せば「格差」が広まるとの批判が高まるのであろう。が、大阪を牽引する人材が育たねば大阪の未来はない。

 共に貧しくなる「平等」を大阪の人々は望むのだろうか。【続】