保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

大阪都構想再来について(2) ~水平化の鋭い鎌~

松井一郎大阪市長は「都構想は制度の話であって、公営住宅の料金など個別政策の話ではない」として、サービス水準の議論は住民投票と切り離して考えるべきだとする。だが、格差を生むリスクを内包した制度である以上、サービス低下への懸念を払拭する努力は欠かせない》(2019年12月26日付日本経済新聞社説)

 公にぶら下がって<サービス>がどうのこうのと言っていては大阪の再生は望めない。必要なのは、かつて「大大阪」と呼ばれた頃持ち合わせたに違いない「自助の精神」である。

“Heaven helps those who help themselves” is a well-tried maxim, embodying in a small compass the results of vast human experience. The spirit of self-help is the root of all genuine growth in the individual; and, exhibited in the lives of many, it constitutes the true source of national vigour and strength. ―Samuel Smiles, Self-Help: Chapter 1

(「天は自ら助くる者を助く」は、多くの試練に耐え、膨大な人間の経験の成果を簡潔に具体化した格言である。自助の精神は、個人が真に成長するための根源である。そして多くの者の生活に示されたなら、民族の活力と力の真の源泉となるのである)

 そのためには、たとえ「急がば回れ」ではあっても、「教育」を立て直すことから始めるべきだ、というのが私の主張である。将来の大阪を担っていく人材を育成する、そのことが重要である。

 「自助の精神」を失い、公にぶら下がろうとする人たちが増えた最大の原因は「平等」を旨とした左翼思想教育にあるというのが私の見立てである。「自由」と「平等」の平衡が崩れ、「平等」にばかり目が行き、「自由」が蔑(ないがし)ろにされた結果、大阪は活力を失った。

《古代は卓越という方向において弁証法的である〔ひとりひとりの偉人-そして大衆。ひとりの自由人-そして奴隷たち〕。

キリスト教はさしあたり代表の方向において弁証法的である〔多数の者は代表者を自分自身と見、代表者は自分たちを代表してくれているのだという意識によって、一種の自己意識において、自主独立なものとされている〕。

現代は平等の方向において弁証法的であり、この平等を誤った方向に最も徹底化させようとするのが、水平化のいとなみであり、この水平化は個人個人の否定的な相互関係の否定的な統一なのである》(キルケゴール『現代の批判』:『世界の名著40』(中央公論社)桝田啓三郎訳、p. 392)

《昔は、君主や傑出者や卓越者は、それぞれ意見をもっていたが、その他の人々は、自分たちは意見などもとうとも思わないし、もつ力がないのだという、断固とした覚悟をもっていた。

ところが今日では、だれでもが意見をもつことができるのだが、しかし意見をもつためには、彼らは数をそろえなければならない。どんなばかげきったことにでも署名が25も集まれば、結構それでひとつの意見なのだ。ところが、このうえなくすぐれた頭脳が徹底的に考え抜いたうえで考え出した意見は、通念に反する奇論なのである》(同、p. 420)

《見よ、水平化の鋭い鎌が、すべての人々を、ひとりひとり別々に、刃にかけて殺してゆく》(同、p. 423)

 「出る杭は打たれる」では大阪の再興は望めない。【了】