保守論客の独り言

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参院選1票格差の最高裁「合憲」判断について(4) ~「平等病」~

《「違憲」とした裁判官は、格差是正に向けた国会の努力不足を批判している。

 国会は、15年公選法改正の付則で「19年選挙に向け、必ず結論を得る」と明記し、抜本的な選挙制度の見直しを約束していた。これについて、以降の取り組みは「内容が乏しい」と非難。合憲と判断すれば「現状を容認したと受け取られかねない」とした》(11月19日付京都新聞社説)

 <努力不足>だったかどうかの判断は主観的とならざるを得ない。が、合憲か否かをただ主観的に判断するというのは裁判にはそぐわない。

《別の裁判官は、16年選挙で初めて導入された合区に関して、その後も多くの選挙区が都道府県を単位としていることに変わりはなく、1票の価値で不平等な状態が続いていると言及。格差が生じないようにするための制度設計が十分にできていないのは「裁量権の限界を超えている」との意見を付けた》(同)

 憲法第14条には、

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

とある。が、ここから「投票価値の平等」を導くのは過剰解釈ではないのだろうか。

 <投票価値の平等>問題を考えるにあたっては、次の3点が考慮されねばならないとされる。

第1に、選挙権の平等の観念には、従来から一般的に認められてきた投票の数的平等である1人1票の原則(公職選挙法36条)にとどまらず、各投票が選挙の結果に対してもつ影響力の平等、すなわち投票価値の平等も含まれること

第2に、選挙権および投票価値の平等は、表現の自由と同様に民主政を支える重要な権利であること、したがって、厳格な司法審査が必要であること(較差の合理性の挙証責任は政府にある)

第3に、選挙法は、徹底した人格平等の原則を基礎としているので、投票価値の平等の意味は、一般の平等原則の場合の平等の意味よりも、はるかに形式化されたものであり、国民の意思を公正かつ効果的に代表するために考慮される非人口的要素(例、行政区画を一応の前提として定められる選挙区制)は、定数配分が人口数に比例していなければならないという大原則の範囲内で認められるにすぎないこと (芦部信喜憲法』(岩波書店)第4版、pp. 135-136)

 が、昨今の議論は投票価値を平等にすること自体が目的化してしまい、もはや「平等病」と呼ぶべき感がある。

 <投票価値の平等>は、「手段」であっても「目的」ではない。投票価値が平等になれば日本の政治が良くなるという道理はない。

 例えば、投票価値を平等にしようとすれば、都会の議員を増やし、地方の議員を減らす必要がある。そうなれば、ますます地方が顧みられなくなるだろう。都会と地方の格差が問題となっている中、投票価値の平等だけにこだわるのは勝手というしかない。【続】