保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

参院選1票格差の最高裁「合憲」判断について(3) ~合憲としなかったのは15名中4名~

《これで司法のお墨付きが得られた訳ではない。是正努力が不十分で、著しい不平等が続いているとして、15人の裁判官のうち3人が「違憲」とする反対意見を述べ、1人が「違憲状態」とした。重く受け止める必要がある》(11月19日付京都新聞社説)

 他紙も<重く受け止める>だらけである。

《15人の裁判官のうち、3人が「違憲」とする反対意見を述べ、他に1人が「違憲状態」とした。重く受け止めたい》(11月21日付琉球新報社説)

格差是正に向けた取り組みは「大きな進展を見せているとは言えない」とも指摘した。

 国会の対応は不十分との批判を込めた判決といえる。

 国会は重く受け止め、参院の在り方を含めて選挙制度の抜本的な改革を進めるべきだ》(11月20日付北海道新聞社説)

《今回の判決で裁判官15人のうち3人が「違憲」、1人が「違憲状態」とする個別意見を付けた。「約束した割に内容が乏しい」との指摘は、改革を強く促していると言えよう。国会は重く受け止めるべきだ》(11月20日付南日本新聞社説)

 が、むしろ15人中11人が「合憲」としていることを<重く受け止める>べきではないか。勿論、少数派を無視すればよいと言いたいのではない。少数派には傾聴すべきことは何もないと決めてかかるのは早計である。否、むしろ「真理」が少数派に宿ることも少なくないというのが歴史の教えるところなのであってみれば、少数派を無下(むげ)に斬り捨てるのは多数派の横暴と言うべきである。

《民主主義は多数意見が共同の行為を決定するという協約を基礎としているのではあるが、そのことは、今日多数意見であるものが一般に受容される意見になるべきであるという意味では決してない。仮にそうなることが多数意見の目的の達成のために必要であるとしてもである。

それとは反対に、民主主義の正当性の全根拠は、時の流れのうちに、今日はほんの少数の意見にすぎないものが多数意見になることも可能だ、という事実にもとづいている。実際私の信じるところによれば、政治理論が近い将来に答を発見しなければならない最も重要な問題のひとつは、多数意見がすべてのひとを拘束しなければならない領域と、それとは反対に、もし少数意見が公共の需要をヨリよく充足させる結果を生みだすことができるのであるならば、少数意見が勝つことを許される領域との境界線を発見する問題である。

なによりもまず私は、ことが或る特定の産業部門の利害に関係するときには、多数意見はつねに反動的、停滞的な意見であること、そして競争の長所はまさに少数者に勝つ機会を与える点にあることを、堅く信じている。少数者が強制的権力を用いずに何事かをなしうる場合には、少数者はそれをなす権利をつねにもつべきである》(F・A・ハイエク『市場・知識・自由』(ミネルヴァ書房)田中真晴訳、pp. 37-38)【続】