(中略)
首相が会見冒頭に強調したのは、東京五輪・パラリンピックへの期待と、「新時代を切り開く1年」にするとの意気込みだ。そのうえで、全世代型社会保障改革を「最大のチャレンジ」と位置づけた。
しかし、今年の通常国会に政府が提出する関連法案は、年金などの給付水準を抑え、高齢者にも相応の負担を求める保険財政のやり繰りが中心となる見通しだ。
人口減少と正面から向き合い、将来世代に活力を与える新時代のビジョンにはなっていない》(1月7日付毎日新聞社説)
例によって、<全世代型社会保障改革>などと言葉だけが躍っている感があるが、要は<年金などの給付水準を抑え、高齢者にも相応の負担を求め>ようということである。耳触りの良い言葉で有権者を煙に巻くような遣り方は宜(よろ)しくない。もっと実態に即した命名を心掛けるべきではないか。
一方で、<将来世代に活力を与える新時代のビジョンになっていない>などとふんぞり返って言う毎日社説子も気に入らない。誰も出来やしないことを基準にして偉そうに批判するよりも、どうしたらよいのかについて自分なりの意見を提示しなければ建設的議論とならない。
《憲法改正に関しては記者からの質問を受ける形で「私自身の手で成し遂げたい」と改めて意欲を示した。政権のレガシー(遺産)にしたい思いもあるのかもしれない》(同)
現行の9条に自衛隊保持を追記することがどうして<レガシー>になるのか。9条2項に背反する内容を明記すれば混乱するだけである。
安倍首相が自衛隊明記を言い出した当初は、米朝衝突の可能性が高まった頃であり、戦端が開かれた場合、自衛隊が米国を支援せざるを得ない状況にあった。が、今はそのような緊迫した状況にはないので、無理して改憲する必要もない。また、集団的自衛権行使も容認され、安保法制も整備されている。
が、与党も野党も解釈改憲に解釈改憲を重ねた「違憲状態」を放置し続け、マスコミも批判しないというのは「異常」ではないか。
米国の庇護下にある日本は、改憲には米国の了承を取り付けないといけない。米国の威を借りて平和を享受している分際で「自主憲法制定」など言い出せるわけがない。
一方護憲派は、「蟻の一穴から堤が崩れる」(韓非子)ことにならないよう、時代状況がいかに変わろうとも、現行憲法を旧套墨守(きゅうとうぼくしゅ)せざるを得ない。だから違憲の可能性が高くとも、自衛隊保持までは良しとし集団的自衛権行使は認めないという、まったく恣意(しい)的な憲法解釈に陥ってしまっているのである。【続】