保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

石破茂氏は「オワコン」だ!(2) ~民主主義命~

《民主主義。終わったとは言わないが、大きく変質を遂げた。それが平成だったと思う。大勢の人が参加をしなければ民主主義は成り立たない。正しい情報が有権者に与えられなければ、民主主義は機能しない。少数意見が尊重されなければ、民主主義は機能しない。私たちは民主主義がきちんと機能するように、大勢の人が参加できること、正しい情報が与えられること、少数意見が尊重されること、民主主義を守っていかねばなりません》(産経ニュース2020.9.8 16:37)

 石破氏は「民主主義信者」のようである。「民主主義命」らしい。だから世の中がうまくいかないのは民主主義が機能していないからだという話になる。

 日本の国政選挙の投票率は50%程度である。つまり、大勢の人が参加しないのであるから日本の民主主義は成り立たないということになる。さらにこの50%の人たちに<正しい情報>が与えられていないことが民主主義が機能不全を起こしているというということのようであるが、<正しい情報>とは何か。石破大明神が正しいと思う情報が<正しい情報>ということなのか。

 が、歴史認識一つとっても石破氏には疑問符が付く。結論に疑問符が付くだけではなく、結論を導く思考過程にもまた疑問符が付く。

 百歩譲って石破氏の見解を尊重するとしよう。が、当然のことであるが、ものの見方は人それぞれ千差万別であるから、ほかの人たちも違った見解を導き出すだろう。よってその優劣を判断するためには判断の根拠を巡る公の議論が必要となる。それを通して初めて何程か「正しい」という判断が可能となる。「正しい」という言葉を簡単に口にする人は独善的傾向が強い人に違いない。

 また、少数意見が<尊重>されるとはどういうことを意味するのか。門前払いはしないという意味なのか。議論の範疇に加えるという意味なのか。

 少数意見が尊重されねばならないのは温情主義からではない。多数意見が必ずしも<正しい>とは限らないからである。「真理」が多数派にあるのか、少数派にあるのか数には関係がない。だから少数意見も尊重しなければならないのである。

 が、だからといって<少数意見が尊重されなければ、民主主義は機能しない>などという言い方には違和感がある。少数意見を尊重しろと少数派が多数派を牽制するために言っているように聞こえてしまう。問われるのは真理の追求であり、政治的駆け引きではない。

《民主主義政治の原理は、自分が獨裁者になりたくないといふ心理に基づいてゐるのではなく、他人を獨裁者にしたくないといふ心理に基づいてゐるのである。一口に言へば、その根本には他人に對する軽蔑と不信と警戒心とがある。が、民主主義はあくまで政治の原理として、それらの近代病の上に、むしろそれを肯定し温存するやうに築かれたものであつて、それから脱出するためのものではない》(福田恆存「民主主義を疑ふ」:『福田恆存全集第5巻』(文藝春秋)、p. 451)【続】