保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

大阪都構想再否決について(5) ~欠かせぬ既得権益の打破~

《10年にも及び、大阪市民を二分してきた論争にようやく終止符が打たれる。(中略)まず反対派との分断を修復し、幅広い理解を得ながら、真に大阪のためになる政策の実現に努めるべきだ》(11月3日付中國新聞社説)

 大阪市民を二分してしまったのは、過半数多数決も1つの原因ではなかったか。

 そもそも大阪市を廃止するなどという重要案件は、過半数で賛否を問うようなものではない。日本国憲法改正も、特別に、全国会議員の3分の2の賛成で発議できると定められている。したがって、大阪市を廃止するかどうかは過半数ではなく、例えば3分の2のような特別多数議決とすべきである。

 そうなれば、市民を二分するような環境で賛否を問うようなことはできなくなる。今後は大半の賛成が見込める時にしか、このような重要法案は提出すべきではない。

《そもそも維新が府政と市政を独占する中で二重行政の無駄が一定程度解消されたとの評価があった。あえて政令市廃止に踏み切る必要があるのか。大改革よりも現状の体制の中で着実に行政改革を進めることを市民は選択したのである。その意味で維新の大阪都構想市民感覚から浮き上がっていた》(11月3日付琉球新報社説)

 前にも書いたが、<二重行政>がすべて無駄なのではない。例えば相互補完的な「必要な二重行政」もなくはない。二重であるがゆえの安全、安心ということもある。そうでなければ、副首都構想も無駄ということになってしまう。

 にもかかわらず、

《二重行政の解消は、府と市の重複した事業を見直し、無駄の削減が期待できる。他の自治体でも積極的に取り組むべきだ》(11月3日付北海道新聞社説)

などという話になるのは物事をあまり深く考える習慣がないからなのだろうか。

 何をもって<無駄>というのかも難しいし、そもそも<無駄>は本当に無駄なのかという問題もある。「無用の用」ということもある。

 <無駄>を放置しておいて構わないと言いたいのではない。無くせる<無駄>は無くせばよい。が、根本は大阪を再生することであって、わざわざ<無駄>を探し回るような愚は避けるべきだということである。後ろ向きな活動で精神を擦り減らすのではなく、前向きな活動に意識を向ける方がよほど健全だろう。

大阪都構想を巡る論議が無駄だったとは言えない。大阪以外でも政令指定都市道府県の二重行政は指摘されており、課題は残されているからだ。構想の中で東京一極集中への批判が議論された意義も見逃してはならない。豊かな地方を約束する日本の将来像を描く中で東京一極集中は是正されなければならない》(同、琉球社説)

 私は、「東京一極集中は悪である」といった独断論を好まない。<東京一極集中>の何が問題であるのかについてよく考え、どのような将来像を描くのかをしっかり確認した上で事に当たるべきである。

 東京一極集中の是正は、なぜ必要なのか。<豊かな地方を約束する>ためなのか。このような話は私には単なる利権誘導にしか聞こえない。

《反対する自民党共産党などは独自の財政試算などで問題点を指摘した。だが、「大阪市がなくなる」と危機感をあおるばかりでそれに代わる道を示したとは言えない。

 大阪市を残したいという思いと同じくらい、停滞する大阪の現状を憂い、都構想に改革の期待をかけた市民がいる。その事実を忘れてはならない。対立を乗り越え、課題解決に取り組む責任を改めて負ったと肝に銘じるべきだ》(11月3日付神戸新聞社説)

 が、既得権益にしがみ付く人たちには無理な相談である。大阪再生には既得権益の精査と見直しが欠かせない。やはりそれは大阪維新の会のような「失うものが無い人たち」に任せるしかないのではないか。【了】