保守論客の独り言

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参院選1票格差の最高裁「合憲」判断について(1) ~朝日社説の「八つ当たり」~

《「1票の格差」が最大3・00倍だった昨年7月の参院選は投票価値の平等を定める憲法に違反するとして2つの弁護士グループが選挙無効を求めた訴訟で、最高裁大法廷は「合憲」とする統一判断を示した。

 全国14の高裁・高裁支部の判断は16件中14件が合憲、2件が違憲状態と分かれていた。合憲判決は、2県を1つの選挙区とする「合区」の導入で格差が3・08倍に縮小した2016年選挙から2回連続となる》(11月21日付神戸新聞社説)

 国政選挙が行われ、1票の格差が裁判で争われ、マスコミが騒ぐ。まさに恒例行事と言ってよいであろう。選挙があれば「1票の格差」を言い募り、喉元過ぎればなんとやら。こんな馬鹿げた「行事」からはもう卒業すべきである。

 さて、今回の判決を朝日社説子は罵倒(ばとう)する。

《国会の怠慢に助け舟を出すために、およそ理屈にならない理屈を繰り広げ、結果として司法の存在意義を自らおとしめた。そう言うほかない》(11月19日付朝日新聞社説)

 例えば判決文9頁には、次のように書かれている。

憲法は、選挙権の内容の平等、換言すれば、議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等、すなわち投票価値の平等を要求していると解される。

しかしながら、憲法は、国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政に反映させるために選挙制度をどのような制度にするかの決定を国会の裁量に委ねているのであるから、投票価値の平等は、選挙制度の仕組みを決定する唯一、絶対の基準となるものではなく、国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものである。

それゆえ、国会が具体的に定めたところがその裁量権の行使として合理性を有するものである限り、それによって投票価値の平等が一定の限度で譲歩を求められることになっても、憲法に違反するとはいえない》(令和2年(行ツ)第78号 選挙無効請求事件:令和2年11月18日 大法廷判決)

 非常に理路整然とした<理屈>ではないか。これのどこが<理屈にならない理屈>なのか。自分が気に入らないというだけで<理屈にならない理屈>呼ばわりするのは、ただの「八つ当たり」である。

一票の格差が最大3・00倍あった19年の参院選について、最高裁はきのう合憲と判断した。1人1票という民主政治の基盤をなす原則を踏みにじり、3票分の投票価値を持つ人がいるのを容認したことを意味する》(同、朝日社説)

 <投票価値の平等は、選挙制度の仕組みを決定する唯一、絶対の基準となるものではなく、国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものである>という重厚な判決文を差し措いて、よくも恥ずかしげもなくこんな薄っぺらな批判が出来るものだ。

《「投票の価値」(または「1票の重み」)の平等とは…「1人1票」という投票の「数的価値」の平等ではなく、投票の「結果的価値」の平等、すなわち各選挙人の1票の投票が選挙の結果すなわち当選者の決定に及ぼす影響力に差違があってはならないことをいう…選挙区の間における議員定数の不均衡によって…「投票の価値の不平等」が生ずることがある》(佐藤功日本国憲法概説』(学陽書房)全訂第4版、p. 369)​【続】​