保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「国際女性デー」について(1) ~近視眼的平等~

《きょうは国際女性デー。女性の政治的解放を目指す国際的な統一行動日だ。1904年3月8日、米国で行われた女性参政権を求めるデモにちなむ》(3月8日付西日本新聞「春秋」)

 が、私は、参政権の問題は本来、徴兵制と併(あわ)せて考える必要があると思うのである。

《兵役の義務が課されているのは男性だけである国家が多く、女性も徴兵される国はイスラエル、マレーシア、ノルウェー北朝鮮スウェーデンなどである。かつては、このような義務が課せられたことが、男性のみに参政権等の権利が与えられる根拠となっていた》(ウィキペディア「徴兵制度」)

 生きるか死ぬかの問題に当人の意見が反映されないのは「不条理」である。だから徴兵制と参政権は切り離して考えるべきではない。

 にも拘(かか)わらず、「平等」を旗印に、参政権は女性にも与えられることになった。結果、「戦争」という最も重要な政治課題の一つにおいて、自らの命が懸かっている男性とそうでない女性が同等の権利を持つこととなってしまった。

《男性を理解するには男性と3つのWとの関係を理解する必要がある、女性(woman)、仕事(work)、戦争(war)だ。たった18歳の少年が、未来の戦争のための登録を法律的に求められる。平時は両性が軍隊に参加するかどうかの選択権を持つが、しかし戦時は軍隊の中の男性だけが戦闘に参加することを求められる。

主要な戦争が勃発したとき、48時間のブートキャンプ(新兵訓練所)の報告が届けられるのは私たちの息子だけだ。男性は選挙に投票できる年齢の前からその権利を守る義務を負い、女性はその権利を守る義務はなく選挙権を受け取る》(ワレン・ファレル『男性権力の神話』(作品社)、p. 139)

 ファレルは言う。

《私は今後徐々に、女性がいかなる戦闘状況にも志願兵として従事することが許されるようになっていくだろうと予測している。しかし、戦争が突然起こったときに、まだ男性だけが戦闘に行くべきであると求められている状態で、女性にもっと戦闘における選択権を与えることは、“選択権のある女性と選択権のない男性”という状況をますます補強してしまう。それは戦闘時にこのようなことを意味する。

 軍隊にいる女性の持っている選択肢は、

  1. 戦闘に参加する

  2.戦闘に参加しない

 軍隊にいる男性が持っている2つの“少し異なった”選択肢は、

  1. 戦闘に参加する

  2.戦闘に参加する

である。

 この軍隊での戦闘における女性の選択権の増加は、平等の進歩として喝釆を受けるだろう。しかし実際は平等になってはいない。本当に正しい平等の進歩とは男性が戦闘に参加を求められるのと同じ度合いで女性が戦闘に参加を求められることだ。平等というのは、平等な選択権とそして平等な義務を含む》(同、pp. 143-144)【続】