保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「国際女性デー」について(2) ~平等思想 vs. 自生的秩序~

《日本の現状は、世界から取り残されている。世界経済フォーラムの男女平等度ランキングでは、153カ国中121位と過去最低だった》(3月8日付毎日新聞社説)

 その男女平等最底辺国が経済的には最上位国であるのはなぜか。

 私は、生物的に雌雄が分離することで進化してきたように、社会的にも男女が役割分化することで発展してきたのではないかと考えている。

 が、その「役割」は民族や文化によって異なるだろう。なんでもかんでも男女平等を目指すのはそれこそ愚の骨頂であるが、どの分野や仕事がどの程度の男女比であるのかを一律に決めることも出来ない相談である。

《女性議員の比率は衆院10%、参院23%、地方14%にとどまる。管理職に就く人も15%に過ぎず、どれも国際水準から後れを取っている》(同)

 <国際水準>って何だ。議員や管理職の男女比が同じになることが最終目標であるような考え方は、誤った「平等思想」である。

 日本の女性議員や管理職が少ないのは、男性の「女性蔑視」ゆえなのか。日本の文化においては、この配分が「適当」ということはないのだろうか。

《2年前に議員候補者の男女均等を目指す法律ができたものの、昨年の参院選で与党の女性候補者は、自民党が15%、公明党が8%だった。

 政党が自主的に取り組まないのならば、強制力のある制度を設けるしかない。女性候補者の割合を義務づけるクオータ制や、割合に応じた政党助成金の配分といった諸外国の制度導入を本格的に議論すべきだ》(同)

 男性が抑え込んでいるから女性が立候補出来ないのであろうか。<議員候補者の男女均等を目指す法律>が出来ても改善されないとすれば、問題はむしろ女性の意識の低さにあるとも言えるのではないか。

 否、男性が女性を抑え込んでいるだの女性の意識が低いだのといった話は、男女比は平等でなければならないという考え方から出てくるものである。そうではなく、日本文化において、今の男女比は「妥当」であると考えれば、責任を擦(なす)り合う必要はない。

 男性が「おいしい仕事」を独占しようとしているわけでもなければ、女性が「しんどい仕事」から逃げているわけでもない。男女それぞれの特性を踏まえ、男女がどの程度の比率でその仕事に存在すべきかが、試行錯誤を繰り返しながら決まる。ハイエクが言うところの「自生的秩序」である。

《自然界には、各要索を熟慮の上で然るべきところに配置することによってではなく、その形成へと導く傾向のある既知の諸力を利用することによってのみわれわれが生み出すことができる、複雑な秋序の例がたくさんある。(中略)
秩序とは、常に、誰にもその全体がつかめない数多くの特定事実への適応なのである》(『ハイエク全集 8 法と立法と自由 I ルールと秩序』(春秋社)、p. 54)【続】