保守論客の独り言

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UN「国際女性デー」なる女性逆差別について(1) ~マスコミの印象操作~

1908年アメリカ合衆国のニューヨークで、参政権のない女性労働者が労働条件の改善を要求してデモを起こした。これを受けドイツの社会主義者クララ・ツェトキンが、1910年にデンマークコペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱したことから始まった。

 国際女性デーにちなむ最大の事件は、第一次世界大戦中の1917年にロシア帝国で起こった二月革命であろう。国際女性デー(当時ロシアで使われていたユリウス暦では2月23日にあたる)に首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心としたデモは、男性労働者、更には兵士を巻き込んだ大規模な蜂起となり、最終的には帝政を崩壊に追い込んだ。

 国連は1975年(国際婦人年)の3月8日以来この日を「国際婦人デー」と定め、現在は国際連合事務総長が女性の十全かつ平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼びかける日となっている。(Wikipedia

※日本ではThe United Nations(連合国)を「国際連合」(国連)と呼んでいるが、これは正体を隠すための誤訳であり、本ブログではUNと略記することとする。

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《だが、その(=国際女性デーの)理念と大きくかけ離れた現状が日本にはある。

 東京オリンピックパラリンピック組織委員会森喜朗前会長による女性蔑視発言は、日本社会の旧弊をあぶり出した。古い考え方のリーダーが、均質な組織を率いる。そこでは挑戦より現状維持が優先され、少数意見は無視されるか排除される》(3月8日付毎日新聞社説)

 森氏の発言を<女性蔑視>とするには当たらない。森発言は、女性理事の発言が長いことを批判したものである。「批判=蔑視」とするのは印象操作である。

 毎日社説子の言う<旧弊>とは何か。日本社会はずっと女性を蔑視してきたとでも言いたいのか。具体性を欠いた<挑戦より現状維持が優先され、少数意見は無視されるか排除される>などという話は「妄想」でしかない。

《国会議員の女性比率は衆院9・9%、参院22・6%だ。列国議会同盟によると1月時点で世界190カ国中166位と低い。国民の半数は女性なのに不均衡が際立つ。「おじさん政治」「女性のいない民主主義」と言われる》(同)

 <と言われる>と逃げ道を作っているが、これは「男性蔑視」なのではないのか。果たして女性の国会議員が少ないのは政治が女性を締め出しているからなのか。機会は平等に開かれていても、肝心の女性が国会議員になりたがらないということはないのか。

ジェンダー平等を先導する立場の男女共同参画担当相に起用された丸川珠代氏が、選択的夫婦別姓の導入に反対するよう地方議会に求める文書に名を連ねていたことも、とても看過できない》(3月8日付東京新聞社説)

 <ジェンダー平等>を言うのであれば<選択的夫婦別姓>を認めなければならないなどということはない。だが、選択的夫婦別姓に反対の人間が、男女共同参画担当相に就くことには違和感がないとも言えない。

 いずれにせよ、丸川大臣に対する非難の嵐を見て、国会議員になりたいと思う女性がいる方が不思議であろう。また、丸川大臣を叩く福島瑞穂議員の陰湿な姿を見て、福島議員のようになりたいと思う女性がいるとも思えない。叩く側にも叩かれる側にもなりたくない。政治などには関わりたくない、それが自然な感情であろう。【続】