保守論客の独り言

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大阪都構想再来について(1) ~<二重行政の無駄>の話は大阪衰退とは別次元の話~

大阪の駄目さ加減が分かる話題である。

大阪都構想を改めて住民投票にかける制度案の大枠が決まった。大阪府大阪市の議会で了承されれば、2020年11月にも住民投票が実施される》(2019年12月26日付日本経済新聞社説)

 どうして大阪維新の会は一度否決された「大阪都構想」に拘(こだわ)り続けるのか、はたまた、どうして既成政党連は対案も出さずにただ反対しか出来ないのか。

《都構想は大阪府政令市の大阪市を統合し、政令市を廃止して東京23区のような特別区を4つ設けるものだ。二重行政の無駄が指摘されてきた開発投資などの広域行政を、府に一本化することに主眼を置いている。

現在は維新が知事と市長の双方を握り、実質的に成長戦略の司令塔が一本化されている。都構想はこれを制度的に担保するもので、都市の成長を促す観点から一定の意義を認めてよい》(同)

 確かにかつての大阪は金銭的に余裕があったこともあり多大な<二重行政の無駄>があったと言えるのだろう。が、そのせいで大阪から企業や人材が流出していったわけではない。つまり、<二重行政の無駄>の話は大阪衰退とは別次元の話だということである。 

《一方、15年に否決された一因とみられるのが、大阪市特別区に分割されることで住民サービスが低下したり、格差が生まれたりするのではないかという懸念だ。

制度案では住民サービスの維持に必要な財源を府が特別区に交付し、当初10年間は加算もするとしている。ただその財源を使って住民サービスをどの程度の水準にするかは各特別区の判断に委ねた。特別区の区長や議員は選挙で選ぶため、区の方針によっては格差が生じる可能性がある》(同)

 根本問題は、どうやって大阪の衰退を止め、再び活力のある大阪を取り戻すのかということである。「大阪都構想」が住民のためになるかならないかというような話に矮小化されてはならない。

 いくら行政の仕組みを変えても、住民自体が変わらなければ大阪は変わらない。つまり、大阪再興の鍵は、枠組みではなく人にある。

The worth of a State, in the long run, is the worth of the individuals composing it; and a State which postpones the interests of their mental expansion and elevation, to a little more of administrative skill, or of that semblance of it which practice gives, in the details of business; a State which dwarfs its men, in order that they may be more docile instruments in its hands even for beneficial purposes, will find that with small men no great thing can really be accomplished; and that the perfection of machinery to which it has sacrificed everything, will in the end avail it nothing, for want of the vital power which, in order that the machine might work more smoothly, it has preferred to banish.―J・S・Mill, On Liberty: CHAPTER V

(国家の価値は、結局、それを構成する個々人の価値である。そして、個々人の精神的拡大や向上という利益よりも、業務の詳細における多少多くの行政手腕や、慣例が与えてくれるそれらしきものを優先する国家、有益な目的のためでさえ、より従順な手駒となるように、人々の成長を妨げる国家は、小人ではどんな偉業も実際に達成され得ず、そして国家があらゆるものを犠牲にしてきた機構が完全なものであっても、組織がより円滑に動くようにと国家が好んで払いのけてきた活力がなければ、結局は何の役にもたたないということを知るであろう)【続】