保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

LGBT法案を巡って(1) ~新たな「差別」を生みかねない地裁判断~

自民党山谷えり子拉致問題担当相は19日、党内の会議で、自分の性別をどのように認識しているかを意味する「性自認」をめぐり、「体は男だけど自分は女だから女子トイレに入れろとか、アメリカなんかでは女子陸上競技に参加してしまってダーッとメダルを取るとか、ばかげたことはいろいろ起きている」と発言した》(朝日新聞デジタル2021年5月19日15時22分)

 これに東京新聞の名物記者・望月衣塑子女史がいつものごとく噛み付いた。

 このように言うからには、望月記者は体が男でも女だと自称した人物を女子トイレに入れても良い、女子陸上競技でメダルを取っても良いということなのであろう。まさに「こういう感覚の新聞記者の存在が、今の日本を映し出している」。

性自認をめぐっては、戸籍上は男性だが女性として生きる性同一性障害経済産業省職員が、女性トイレの使用を制限される差別を受けたなどとして国を訴えた。2019年12月の東京地裁では、経産省の対応は違法として国に132万円の賠償を命じた。判決は「トランスジェンダーが働きやすい職場環境を整える重要性が日本でも強く意識されるようになっている」と指摘した。その後、敗訴した国と勝訴した職員の双方が東京高裁に控訴している》(同)

 今の日本は、性同一性障害の男性が女性トイレを自由に使えるような意識水準にはない。したがって、もし役所が使用許可を出したとすれば、逆に女性利用者から抗議の声が殺到しかねない。だとすれば、男女兼用で利用できる「多目的トイレ」のようなものを設置していくしかないのであるが、果たしてどこまでこのような極極少数者の要望に社会は応えなければならないのか。

 社会はこういった問題に対応すべく動いている。が、その速度は当事者にとってはとても満足のいくものではないだろう。だからといって「権利」のごとく改善を喧(かまびす)しく要求されても困る。

 社会の中で生き難さを感じながら生きている人は件(くだん)の人物だけではない。変えて欲しいと思うことは誰にだって1つや2つはある。が、だからといって皆が皆、社会に改善を要求すればどうなるか。社会で共生していくには我慢することも必要である。

 勿論、百か零かの議論ではないのだから、万已むを得ず改善を要求せざるを得ないということもあるだろう。逆に、少し辛抱すれば大事にならずに済ませられるということもあるに違いない。要は程度の問題である。

 件の性同一性障害の人物は、どうして男性トイレを我慢して使えなかったのか。ましてや、どうして<女性トイレの使用を制限される差別を受けた>などとして国を訴えなければならなかったのか。

 否、驚くべきは、性同一性障害の人物の訴えを認めた地裁の判断である。このようなことが罷(まか)り通れば、将来訴えられても困るから、採用条件を厳しくしようとする新たな「差別」が生じないとも限らない。【続】